カテゴリー「落語」の7件の記事

2011年4月 6日 (水)

故金原亭馬生師匠の酒の飲み方

いぶし銀の芸で慣らした、故馬生師匠でしたが、日本酒の菊正宗の一合の冷を、家で一人で飲むのが何よりの楽しみでした。
あるとき、落語の雑誌編集者が来たときに、君はいける口なんだろうと聞くとそうですと言うので、冷でいっぱい注ぐと、その編集者は、クーゥと飲んでしまったそうです。
いやのみぷっりがいいね。などと言っていると、電話が自宅にかかり取材の電話だそうです。
その取材は、酒の飲み方というもので、馬生師匠の酒の飲み方を取材したいのだそうです。
師匠は、酒と言うものは、コップに注いで、ほんの少々を口に入れそれを舌の上に乗せる、そして体温で温まったところを味わって飲むのであって一合に30分はかけたいですね。
と師匠独特の飲み方を電話でひろうしていると、さっきの編集者は、恥ずかしがってもぞもぞしています。
 そこで師匠は、「でも、そういう飲み方をするとご婦人にはもてないでしょうねー」と言って、その編集者のフォローで、電話口でそう言ったというのです。
 なるほど、人肌に温めるお酒と言う徳利はありますが、舌の上で温めて味わって人肌で飲むというのは、師匠以外に聞いたことがありませんでした。
 ちょっと今、それを試したところで、ああそうだ、馬生師匠はこうやって飲んでいたんだと懐かしく思い出しました。
人によって、いろいろな酒の飲み方というものがあるもんですね。

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2009年11月29日 (日)

落語と暑気払いと熱燗

だんだんと、寒くなり体を温めてくれる、日本酒の熱燗の恋しい季節となってきました。
 大概、寒さから、身を守るために、アルコールというのはあるものが、本来のものです。
 よく、落語で長屋の八っつあん、熊さんが、夏の暑い盛りに暑気払いに酒を飲もうという、落語の一節があります。
 夏の暑いときに、江戸時代や明治の時代の日本で暑い夏に、酒を飲んだら、エアコンもないんだから、体が暑くなると決まっています。
 昔、エアコンもないんだから夏は、意識的に酒はあまり飲まない方が、暑くないので、少量にしていたこともありました。
 そこで、昔のことを知っている人に、なぜ、夏の暑いのに、体が暑くなるのに、酒なんか飲むんでしょうか。と聞いたら。
 酒を飲むと、体が熱くなるから、汗をかく。そうすると、それで、体が、ヒャット、して涼しくなるような気がするからなんだそうです。
 今では、夏のエアコンの涼しいなかで、生ビールを何杯も飲んだりしますが、昔は、そうそう沢山のお酒を飲めるほどのお金もないから、少量の熱燗の日本酒を飲んだりして、ちょっと汗ばんで、夏の涼しげな余韻を味わおうというものだったのだそうです。

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2008年10月14日 (火)

柳家小三治師匠とその芸 NHK プロフェショナル

現在思い出してみると、昭和の名人たちは、いません。番組では、俳句の名人でもある、入船亭扇橋師匠や柳家権太楼師匠がチラッと写っていました。昭和の名人として、写真では、故柳家小さん師匠や故古今亭志ん朝師匠の写真も出ていました。
でも、前々から考えていると、そういえば、小三治師匠くらいしかないなあ。とは思っていました。
 でも、昔からこの名人は、好きになれなかったのでした。
 まえに、志ん生の息子の亡くなった先代の金原亭馬生師匠の「あくび指南」と比べて、疑問を持ったのが、小三治師匠の「あくび指南」だったのです。
 確かに小三治師匠の噺は、上手です。でも、面白くない。
 大変失礼な物言いかもしれませんが、先代の小さん師匠の言った、「おまえのはなしはおもしろくねえ。」と言ったことと同じ思いを前々からもっていたのです。
 大変技巧に長けている。でも、味がないのです。ただ、無骨ながら、飄々としたところは、味があっても、どうも技巧に長けすぎていたのが、若いときでした。
 今日のプロフェショナルをみて、小三治師匠は、別な境地に来ているなと感じました。
 笑わせようとするより、病気を抱えながらも、ぽっとした、なんとなく笑ってしまうと言うのが、行き着いた彼の芸ではないかと思いました。
 この師匠自身、あまりに真面目に考えすぎた結果、結局病気をして行き着いた芸が、自然体の笑いであったのでしょうが、ここに行き着くまでには、その年齢と多くの迷いがあったのでしょう。私には、そんな僭越なことは言えないけれども、真面目すぎたのでしょうか。
 でも今、その境地に達したのであれば、これは、名人の味が、醸し出される境地になったのかもしれません。なんとも言えません。まだ元気なうちに、池袋演芸場で、トリを見れればと思います。

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2007年7月24日 (火)

思い出の噺家さん

前は、テレビでもよく落語番組もありました。今では笑点だけになってしまいましたが、今ではどうかわからないのですが、前は、夜中に一時間半くらいの人情噺をTBSで、放送していたこともあり、ビデオをとったりしたこともありました。あの当時は、古今亭志ん朝師匠の文七元結や桂小文枝時代の文枝師匠のなどの上方落語など人情噺が多く、夜中につい起きて、全部の噺をきくこともありました。本当に、志ん朝師匠の江戸前の水際立った、いい噺を持っていてその演じる噺の粋、真剣さもう名人でした。  春風亭柳好師匠の噺は、フラがあり、これまた一種独特の面白さがありました。  ラッパの春風亭柳昇師匠は、よく雑俳の新作落語もやっていましたが、もうその弟子の春風亭昇太の方が、有名になっていますね。 春風亭柳朝の弟子、春風亭小朝師匠は、もう有名で大変巧い噺家さんです。女性を演じる色気を出せるのは、この人を他においていないでしょう。色気と言えば、関西の噺家さんで、桂文枝師匠がいました、たち切れ線香などよかったものです。  戦後関西落語を立ち上げたのは、桂米朝師匠で、重鎮でした。この人たちのおかげで、戦後消えかかった、上方落語が、復活したのでした。  笑福亭仁鶴師匠は、土曜日の昼の番組で、健在ですが、噺も面白い。  先代の柳家小さん師匠は、落ち着いて聞いていられる、人間国宝でした。  最近、引退した三遊亭円楽師匠は、ちょっときざだと言う人もいますが、師匠の大看板の大名人、三遊亭円生師匠は、同じく、本当に巧い噺家さんでした。  かなり、むかし、雷門助六師匠のあやつりは、本当に名人芸でした。 返す返すも惜しかったのは、桂枝雀師匠でした。  あげていると、きりが無く、亡くなった人も健在の人も含めて、思い出の噺家さんでした。  もう一回くらいいつか、噺家さんの思い出として、かいてみたいともおもいます。

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2007年7月23日 (月)

名跡 林家正蔵とこぶ平

 襲名披露は、もう過ぎてニュースでもすでに取り上げられていますね。いまさらかもしれません。  その昔、林家三平という一世を風靡した、噺家さんがいました。源平盛衰記など新作落語のようなその新しい落語のスタイルは、大いに受けました。その息子は、前は、林家こぶ平、今の林家正蔵という名跡を継ぎました。子供のころからお父さんの三平と一緒にテレビに出ていました。  お父さんの林家三平は、若くして亡くなり、林家正蔵を継ぐ前に亡くなりました。  実は、林家正蔵という名跡をすでに名乗っていた人がいました。ラーメン好きの林家木久蔵という、今でも笑点に出ている噺家の師匠です。その師匠は、お化け話で有名な、林家正蔵だったのです。その当時の林家正蔵を名乗っていた、噺家さんの弟子の木久蔵は、火の玉やなにやらの小道具の手伝いで、牡丹灯篭など、怪談話をやっていたようで、林家正蔵の舞台を、見ておけばよかったと今になって後悔しても遅くその伝統は、失われてしまいました。この怪談ばなしの林家正蔵は、もともとの名跡を一世を風靡していた、こぶ平のお父さんの林家三平に返し、名跡を継いでもらおうと、正蔵を止め、林屋彦六の名で正蔵の名跡を戻しました。  ところが、林家三平は、若くしてなくなり、正蔵を継ぐことはできませんでした。  そこで、何十年もたってから、林家こぶ平は、名跡の林家正蔵の襲名披露ができたのでした。お父さんの三平が継ぐことができなかった、正蔵の名跡はやっとその息子である、こぶ平が継ぐことができたのでした。

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2005年11月19日 (土)

馬生の思い出

 昔の噺家さんのお話です。昔、金原亭馬生といういぶし銀の芸を持った上手い噺家さんがいました。名人といって間違いないでしょう。そのお父さんは、古今亭志ん生でこの人も、貧乏噺や古典落語の名人でした。滑稽噺の「火焔太鼓」、人情噺の「唐茄子屋政談」は本当に泣ける噺で、志ん生の十八番でした。 馬生の弟は、これまた名人の古今亭志ん朝です。 三人とも亡くなってしまっていますが、馬生の娘は、女優の池波志乃です。最近テレビにはでていないようですが、俳優の中尾彬が旦那さんです。昔、金原亭馬生の独演会を聞きに行ったことがあります。演目は、滑稽噺の「あくび指南」と人情噺「柳田角之進」でした。江戸時代、平穏な世の中、江戸の町には様々な習い事があり、義太夫や謡やどどいつやら暇にまかせてそれらを習おうとする町人が多くそういうお師匠さんが、いたるところにいました。暇にまかせて、江戸の町人が、ある指南を見つけます。あくびの仕方の指南をするお師匠さんがいるというのです。町人は、どういう指南なのだろう。行ってみないか。というのですが、もう1人の町人は馬鹿馬鹿しいからやめろといいます。結局、町人はそのお師匠さんのところに行ってみます。そのお師匠さんは、あくびにもいろいろと種類があって、眠い時のあくびや退屈なときのあくびなど、様々なあくびの仕方を指南するのです。1人の町人は、感心してお師匠さんのあくびの仕方を習おうとして、あくびをしてみるのですが、お師匠さんはなかなか良いとは言いません。もう一人の町人は、乗り気ではないので、半分馬鹿にしてあくびをしています。お師匠さんは、なかなかよいあくびというものは、難しいものだと講釈をしています。なんど、あくびをしても、お師匠さんは、ダメだと首を振るのです。世の中にこんな馬鹿馬鹿しい、指南があるとは、また習おうという町人も町人です。 乗り気でない町人の方は、こんな馬鹿馬鹿しい指南は、退屈で退屈でならねえ。と言って自然にあくびをすると、お師匠さんは、それを見て、これは筋が良い。とオチになるのです。馬生は、この滑稽噺を実に上手く演じていました。聞いている私も、こんな馬鹿げた噺でありながらその馬鹿げた噺は、馬生の手にかかると、馬鹿馬鹿しさがあまりにも滑稽に演じられて、大笑いでした。この噺は、有名ですが、若い頃まだ聞いたことがなかったので聞き進むうちに、そのおもしろさに引き込まれて、自然と、私もホールの聴衆も爆笑でした。その馬鹿馬鹿しさが、馬生の手にかかると、その町人のあくび指南の馬鹿馬鹿しさに対する、呆れかたが、もっと滑稽さを増すのでした。ほんとうに滑稽噺の真骨頂をみるような名人、金原亭馬生独特な演じかたでした。その後、他の噺家さんでも、あくび指南を聞きましたが、馬生ほど、聴衆にその町人のトホホと思わせるような滑稽話の見事な芸は聞いたことがありません。前述のオチで、前半の独演会は、爆笑のうずで終わりました。後半は、打って変って人情噺です。この噺は、将棋好きの江戸の浪人である柳田角之進とその将棋の友達である商人との噺ですが、その当時は、私はこの噺も聞いたことがなかったので、初めて聞く噺ながら、馬生の巧さに引き込まれてしまいました。聞いているうちにまるで芝居を見ているような気持ちになっていました。1人で演じている馬生が、まるでこの長い人情噺を何人もの人で演じられているように感じられました。上手い噺家さんは、だれでもそうですが、何人もしかも、女も男もそれぞれの役を一人で演じることで、落語は成り立っています。そのキャラクターを的確に自然に演じ分けなければなりません。この人情噺の最期の将棋盤を角之進が、刀で割るところでは、ほんとうに鳥肌が立つような緊張感を私は感じました。いまでもその馬生の高座の様子を思い出すことが出来るほどです。落語でこれほどの感動を覚えたのは、後にも先にもこの独演会だけかもしれません。菊正宗が好きだった師匠は、そのコップ酒をチビチビと飲むのが好きだった師匠は、朝、起きると寝床の中で、朝食がわりにビールを飲んでいた師匠は、お父さんの志ん生同様に酒に魅入られ、酒しか、喉を通らないと言って、痩せていくばかりでした。その独演会の何年か後には、冥界の人となってしまったのでした。返す返すも、惜しい名人でした

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2005年11月 2日 (水)

古今亭今輔のラーメン屋

今日は、昔の噺家さんのお話です。古今亭今輔のラーメン屋20年以上前に、ラジオで、師匠の新作落語である「ラーメン屋」のカット無しの放送を聴いた。もうその頃には、師匠は既に亡くなっているし、その放送の録音自体も古いものであった。今の日本では、あり得ないだろう話ではあったが、その当時の多分昭和30年代ころだったら、そんな人情味のある噺もあり得ただろう。いい噺だった。夜中の屋台のラーメン屋が、舞台である。老夫婦が、重い屋台を運んで、夜中その店をやっている。そこへ、若い20代くらいの男がやって来る。ラーメンを注文する。一杯食べ終わると、もう一杯注文する。老夫婦のおじいさんのほうは、「若い人は、そのくらい食べなきゃ。」と言って喜んで、ラーメンを作る。男がその二杯目のラーメンを食べ終わると、三杯目も注文する。それも平らげてしまう。おじいさんのほうは、よく食べると、少々呆れ気味であった。ところが、その男は食べ終わると、神妙な面持ちでこう言うのであった。「すまないけど、これから、俺と一緒に警察に行ってくれないか。」と言うのである。払う金がないから無銭飲食で、警察に自分を突き出してくれと言うのだ。男の話を聞くと、ここ数日、金もなくろくに食べていないと言う。つい、腹が減り、無銭飲食をしたという。自分はまっとうな道を歩いてこずに、やくざな生き方をしてきたと言う、つい無銭飲食をしてしまった。本当に悪かったから、そのまま警察に突き出して欲しいと言う。老夫婦は、驚く。が、若い男の話を聞いているうちに、なんとなく情が湧いてくる。警察には行かなくていい。じゃあ、今日はもう店は終りにするから、ラーメン代として、この重い屋台を老夫婦の家まで、運んでくれと言う。若い男は、そんなことでいいのならいくらでもするといって、男は屋台を引いて老夫婦の家までいくのである。着くと老夫婦が男に家に来ないかと言う。最初は、ためらっていた男も老夫婦の家に行くことになる。さて、家に着くと、このラーメン屋の老夫婦は、男に酒をすすめて、一杯やらないかと言う。つまみなら、ラーメンの具のチャーシューやゆで卵、こんなものしかないが、食べてくれというのである。けげんな面持ちの男もそれならと、酒を飲む。三人で酒を飲みながら、老夫婦が話し始める。自分達は、細々と暮らしているが、お客さんもいて、屋台の収入である程度の蓄えもある。食うには困らない。だが、自分達夫婦には、子供ができなかった。それが、今となっては、寂しいことなのだという。もし、自分達に子があれば、この若い男のような子がいたらと思うといって、寂しげに酒を少し飲みながら話すのである。そして、この男に今晩だけでいいから、自分達を親だと思ってくれないかという。そして、男に老夫婦の自分達のことを、「おとっつあん」と「おっかさん」と一回でよいから呼んでくれないかと頼むのである。男は、なんとなく気恥ずかしく、でも老夫婦の頼みだからとそう呼んであげると、老夫婦は、喜んでなんといういい響きなんだろうと言う。もう一回呼んでくれという。男は、本当の親子ではないから、何かおかしいと言う。老夫婦は、その男は、今金がないのなら一回呼ぶごとに、小遣いをやろうと言い出すのである。老夫婦は、少しの蓄えもあるし、一晩だけでも、親子になれるのだったらそれでいいという。男は、けげんそうだが、もう一回呼ぶ、するとお金をやる。もう一回、もう一回、もう一回とねだられて、お金をやる。でも老夫婦は、少しお酒が入って、上機嫌で、その男が自分達の本当の子であるような気になってくる。男のほうも、なんとなく本当の親であるような気になってくる。でも、そんなにお金をもらったら、悪いと言う男に、老夫婦は、親子なんだから、いいじゃないかと男の名前も自分達の子供であるように、呼ぶのだった。 そうした、一晩だけの親子の人情味溢れる、いい噺だった。

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