カテゴリー「歴史」の3件の記事

2008年10月 1日 (水)

血の系図、二人のエリザベス女王

「1000日のアン」という映画で、リチャード・バートン演じるところの、イギリス国王ヘンリー8世の世継ぎは、男子はすべて死産でした。
 現在それを考えると、男子の性染色体は、XY、女子の性染色体は、XXなので、必ず、男子の死産であれば、Y染色体に死産の要因としての遺伝子があったものと考えられます。だからこそ、王妃や女性には関係なく、演じるヘンリー8世が「呪われた結婚」であるのではなく、自分のY染色体に異常があったと考えるのが普通でしょう。
 こうして、英国国教会を作ったことによる、ローマ法王との決別は、ヘンリー8世の世継ぎの男子の死産だったわけです。
 さてその後、アン王妃の娘である、エリザベスⅠ世は、空前のイギリスの繁栄時代であるわけですが、さてそれから350年以上立って、現王室では、女王エリザベスⅡ世が、王位についています。
 なぜ、エリザべスⅡ世が、女王になったのかについては、理由があります。
 19世紀の産業革命期のイギリスは、エリザベスⅠ世の頃と同じ空前の繁栄期で、世界の工場と言われた時代です。そのときの女王は、ヴィクトリア朝で、ヴィクトリア女王が王位についていました。
 その頃ヨーロッパの王室では、恐ろしい事件がありました。各国の王室では、必ず世継ぎの男子が、血友病になるのです。大概が亡くなりました。でも、王女は、まったく問題がなかったのです。ヨーロッパの各王宮では、その原因を調べました。
 その結果、血友病の遺伝子は、性染色体の男子のXY染色体のYと結びついており、XXの女子の場合は、大概、発症しないと言うことがわかったのでした。
 しかも、その因子をたどっていくと、もともとの血友病の因子を持つ、ヴィクトリア女王にさかのぼる事がわかったのでした。ヴィクトリア女王の子は多く、多くの子供は各、ヨーロッパの王宮との縁組がありました。ですから、この血脈を持つ、男子はすべて血友病となり、今のように医学や科学の発達していない時代には、恐れられたのです。
 英国では、このヴィクトリア女王の系図を持たない、別なエリザベス女王Ⅱ世の系譜から王を選び、現在のエリザベスⅡ世の系図では、血友病の男子は生まれません。

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2007年6月20日 (水)

フィガロの結婚とマリー・アントワネット

好色な伯爵アルマヴィーヴァは、使用人の男フィガロと使用人の女スザンナを雇っていたが、その二人が、結婚することになり、貴族の古い特権を引き合いにスザンナを一晩、初夜を自分のものにするという、かつての古い貴族の特権の処女権という権利をかざして、スザンナをフィガロからその初夜を奪おうと企んでいる。モーツァルトの作曲による、イタリア語によるオペラは良く知られている。最期には、アルマヴィーヴァ伯爵も全員の登場人物にやりこめられる羽目になり、処女権は行使されず、笑いものになる。そこで幕となる。  この芝居は、18世紀に書かれたものだが、フランスの絶対王権時代、オーストリアの女帝マリア・テレジアの皇女出身のフランスの王妃マリー・アントワネットは、うかつにも、この劇を認めてしまい、自分自身もヴェルサイユ宮殿内の自分で作らせたお気に入りのプチ・トリアノンという宮殿や、宮廷歌劇場で芝居として演じているのである。あまりにも、思慮が浅い。貴族としての自分の立場を考えず、後に断頭台の露と消えてしまうことになる。  自分が貴族でありながら、その貴族の権威を笑い飛ばし、平民が勝利を収めるという筋立ては、貴族にとっては自分の身に関することであって、いかに不道徳と今では言われても、貴族の特権と王権を守りたいなら、自分の身の安全を考えるならば、こうした芝居は禁止しなければならない。こうした、多くの小さな芽を摘んでおかないと最終的に革命となり、これまた多くの誤算により立憲君主制ではなく、ギロチンが待っていた。こうした多くのうかつとも思える判断ミスや誤算の結果最悪の結果を受け入れざるを得なかった。例としては、「首飾り事件」「バレンヌ事件」は、決定的であった。バスティーユ襲撃から国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットでありながらも断頭台への階段を上る過程だったことに全く気付かなかったのである。マリー・アントワネットの平民や農民の第三身分に対する、「お腹がすいて、パンがなかったら、お菓子を食べればいいじゃない。」という発言は、マリーの発言ではないとされる説もあり、他の外国の貴族が言った発言だという説もある。  今のハリウッド映画ではないが、パンがなければスゥイーツを食べろと言うのは、話としては面白いが、マリーの発言とは言い切れない。ちなみにいわゆる三部会は、開かれたことはほとんどなく、第一身分は、カトリックの僧侶であり、第二身分は、貴族であり、第三身分は、平民でした。

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2007年3月11日 (日)

フランス ブルボン王朝の悲劇

 ルイ14世の晩年に作らせたリュリ作曲のトラジディ・リリクの最後の方の場面では、
アルミードより キノー台本のなかで、
若い心よ、すべてが、おまえたちに味方している、ひとときの幸福を利用せよ。
年齢を重ねて冬になると、愛はもう支配者ではない、
失われた美しい日々は、永久に戻ってこない。
という歌詞があります。

 神であったルイ十四世も、若い頃の女性遍歴はあった。でも、歳を取り、実際に、カトリックのミサに出て、昔の寵姫ではなく、敬虔なマントノン夫人を寵姫にしてから、ルイは、気付いたのである。
 若い頃の女性遍歴は、あっても、歳を取るにつれ、20代の頃のようには行かなくなる。みづからは、神。大帝国の神なのである。だから、歳を取ってから、気付いたのである。自分とその若いときの過ちに。

 だから、後の神であるルイ15世は、ぐうたら王といわれたほど、晩年になっても寵姫ポンパドゥール夫人を亡くしても、その後も怪しい、見目のよい、ナイス・バディのデュバリー夫人をなくなる直前まで、そばに置いていたのである。その夫人に、ルイ16世の皇太子妃である、マリー・アントワネットも先代の寵姫であるから屈服せざるを得なかったのである。ルイ15世は、そういう意味では、ルイ14世よりも、享楽的であった。

 ルイ16世は、もし、真性包茎の手術を、もっと早いうちに受け、アントワネットと早くから、結ばれていれば、子沢山となり、マリーも実は家庭的な一面ももち、子供も大切にしたし、浪費をして、憂さばらしもしなかったかも知れない。ルイ16世にとって、マリーだけだったのであって、すべては、マリーとルイ16世にとって、最悪の方向に、フランス革命はすすんでしまった。実際にルイ16世自身、そうした行為を、手術後気分的に悪くない行為であることを自分で日記に書いているのである。歴史にIfは、あり得ないが。
 ルイ16世もマリー・アントワネットも断頭台の露と消えたのであるのは、皆さんのご存じの通りでした。

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