カテゴリー「古楽・バロック音楽」の101件の記事

2018年9月 7日 (金)

神戸愉樹美ヴィオラ・ダ・ガンバ合奏団

プロデューサーである宇田川貞夫氏に続いて、もう一人だけ日本のガンビストを紹介しましょう。

神戸氏は、ヴィオール合奏のための合奏団を持っています。神戸氏は、ヴィオラ・ダ・ガンバ、バス・ガンバを弾くことがありますが、4人でヴィオール合奏を行います。

ヴァイオリンの音程に匹敵する、トレブル・ヴィオールやテノール・ヴィオールで、4人で合奏を行います。

ヴァイオリン族による弦楽四重奏は第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロですが、ヴィオール族の合奏もルネサンス期には、はやりました。

ヴィオール族の合奏は、ヴァイオリンのような小さな楽器でも、足に挟んで、手の甲を裏にして弾くトレブル・ヴィオールのような、今ではめったに見られない合奏が見られます。

ヴィオール族だけによる合奏は、イギリス・ルネサンス期にホール・コンソートと呼ばれました。

ほかにリコーダーなどの楽器が入る場合には、ブロークン・コンソートと呼びます。

こうした合奏は、イギリス・ルネサンス期のトマス・モーリーやジョン・ダウランドによる楽しい曲が多くあり、一般の人も家庭で弾いていました。

そうした、音楽を聴くと、CDでは、ヴァイオリン族だと思う方もいるでしょうが、それをまじかで見ると、ヴァイオリン族の弦楽四重奏団ではなく、ヴィオールだけによる4人の合奏なので、驚かれる方が多いと思います。

そうした、ヴィオール合奏を見る機会というものはなかなかないので、一度見られると興味深いと思います。

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ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者、指揮者、宇田川貞夫氏の思い出

横浜育ちの宇田川氏は、私が高校の頃、よく横浜で演奏会を開いていました。

私も、大学時代にも先輩を連れて横浜のイギリス館に行った覚えがあります。

J.S.バッハのヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタを演目の一つにされていました。

最近では、バッハのヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ全曲を演奏していました。

宇田川氏とは、前に、話したことがありました。

 

氏はヴィオラ・ダ・ガンバだけではなく、ヴィオローネも弾けます。

昔、新聞に載っていた、古楽集団という団体を立ち上げて、指揮もなさるようでした。

今現在もヴィオラ・ダ・ガンバだけではなく、指揮活動をされています。

 

ヴィオラ・ダ・ガンバを習うためには、大橋敏成氏に師事しています。そのあとベルギーの音楽院に留学しました。

あの当時ヴィオラ・ダ・ガンバを習うためには、日本では大橋敏成氏しかいなかったのです。

前に書いた平尾氏も大橋敏成氏に習い、留学しています。

 

宇田川氏は、ソロでの活動のほか、指揮活動もします。

ヴィオラ・ダ・ガンバは、非常に巧かったのが、忘れられません。

 

「宇田川館」で検索すると宇田川氏のホーム・ページが出てきます。

横浜に住んでいた頃のさとちゃんの宇田川氏の演奏は、忘れられない思い出の一つです。

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2018年8月25日 (土)

大きな仮説 バロック・イタリア・オペラの歌唱法~カストラートの歌唱法~

これは、仮説の段階で、私こと、さとちゃんの仮説にすぎませんが、重要なことなので記したいと思います。

前回、ジョーン・サザーランドが、ロッシーニ当時のイタリア・オペラの歌唱法を体現したソプラノ歌手であろうと、書きました。

これは、夫で指揮者のリチャード・ボニングの指導を受け研究成果をサザーランドが、その再現を行いました。

ところで、ロッシーニと言えば、もう少し遡れば、もうイタリア・バロック・オペラが、待っています。

カストラート(去勢歌手)は、少年のうちに去勢して、ソプラノの声を保ちつつ、大人になるのですが、手術後、音楽院に通い、何年もの間、カストラートとしての訓練を受けて多くのカストラートの手術後の少年たちを教育し、歌手として育てていきます。

映画「カストラート」の原作邦訳本、アンドレ・コルビオ著、齋藤敦子訳の「カストラート」の解説の中でこのような記述があります。

アンガス・ヘリオット著「カストラートの世界」ファリネッリのライバルだった、名カストラート、カッファレッリの日課が紹介されています。

午前 一時間 難しい歌唱パッセージの練習

    一時間 国語

    一時間 鏡の前での歌唱練習、身のこなし方と演技の練習、歌う時にしかめ面をしないための練習

午後  30分 音楽理論

 30分 対位法の五線紙上での練習

    1時間 国語 ※      ※そのまま引用※

その他にも、ハープシコードの練習、賛美歌やモテットの作曲などにあてられていたのだそうです。

彼らのベル・カント唱法の技術、ソルフェージュの知識は、かなり高度なものだった。

実は今でも声楽における基本的な唱法であるベル・カントやソルフェージュは、スカルラッティとポルポラによって17世紀初頭にカストラート用の教科書編集されたものだったのだ。それが、1786年にパリで出版されて世界中に広まったのである。※

     ※そのまま引用※ 

バロック音楽を聴いている方は判るかもしれませんが、その当時のフランスでは、カストラートの舞台上演は禁止です。カウンターテノールは認められてはいました。

その後ナポレオン時代に一時期フランスとイタリアでもカストラートを禁止してしまいます。

最後のカストラートのために書かれたオペラは、マイヤベーヤの「エジプトの十字軍」(1824)で、まえにCD化された、「カストラートの時代」では、最後のカストラート、アレッサンドロ・モレスキのモーツァルトの作品の録音が、入っています。

このCDの最後にモレスキの実声が、録音されています。1902年録音で録音状態は悪いですが、多分SP録音と思われます。  

その声は甘く、女性とも男性ともいえない一種独特な味を持つものでした。

あまりに、前振りが長すぎたようです。

バロック期の時代、カストラートは、現在のアイドル歌手のような存在でした。

去勢の結果背丈は、非常に高く、肌は女性のように滑らかで、ソプラノの声域を持つアイドル歌手のようなものでした。

映画、原作をみると、女性の追っかけともいえる若い女性が、情交を交わす場面が多くあります。そうした、一般の若い女の子が、イタリア以外にもいることは確かでしょう。

イギリスに渡ったファリネッリは、ヘンデルの国王派と対する皇太子派として、ポルポラの作曲したイタリア・オペラを歌うのですが、一般の抱かれたい女性は、妊娠の危険はないので、貴族の婦人でも、気兼ねなく浮気もできます。

そうした貴族ではない、一般の追っかけが、イギリス人でもイタリア語がわかるでしょうか。貴族であっても、フランス語は話せてもイタリア語がわかるでしょうか。

ここでジョーン・サザーランドの歌唱がでてきます。

聴いていると美声ですが、イタリア語が明瞭には聞き取れません。

来日時、サザーランドは、イタリア語が明瞭でないとの評論家の批評があり、日本の評論家には不評でした。

でもイタリア語は明瞭ではなくとも、美声の点で聴いてみると、大変にコントロールされたものです。もしこの歌唱法が、カストラートの訓練された美声に酔いしれたいなら、イタリア語なんてわからなくともよいのではないかと思うのです。

これは、仮定の話ですが、ファリネッリのような、カストラートが歌っている歌唱法が、その当時の歌唱法ならば、それが、ジョーン・サザーランドの歌唱法と言ってもよいかもしれません。

そうなってくると、その当時の音楽を現在に再現する、オリジナル主義によるバロック・イタリア・オペラ上演に普通の19世紀なかばのデュプレのような大きな美声で、イタリア語の胸声によるイタリア語の明解な歌唱法というものは、現在の21世紀まで続く歌唱法で歌うオペラ歌手というものは通用しなくなってしまいます。

実際にファリネッリの録音はありませんし、もう聴くことはできません。

ところで、器楽に関しては、もうバロック・ヴァイオリンやその他のヴィオールにしろどんな楽器でも古楽奏法にしても徹底されてもう何の不安もなく聴いていられます。

実際のバロック・イタリア・オペラというもの、果たしてどのような歌唱だったのか、前に書いた、エマ・カークビーの歌唱で分かったつもりになっても、そのような生易しいものではないのではないかというのが、今回の私の意見です。

ならば、ジョーン・サザーランドのような歌唱法で歌うためには多くの訓練が必要でこれが、事実ならば、一般の国立歌劇場で、一般の歌手が、ヘンデルのイタリア・オペラを歌うことは、オリジナル主義に立ち返った場合、何の意味も持たないともいえるかもしれません。

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2018年8月21日 (火)

~コロラトゥーラの復元~ソプラノ歌手ジョ-ン・サザーランドと指揮者リチャード・ボニング

今から40年近く前、あるオペラ好きの先輩がソプラノ歌手、ジョ-ン・サザーランドの存在を教えてくれました。その夫は、かつてのロッシーニなどのイタリア・オペラのベルカント・オペラの歌唱法の研究に熱心だった、指揮者リチャード・ボニングでした。

彼は、かつてのロッシーニ全盛時代のイタリア・オペラにおけるベルカント・オペラの再現のため、サザーランドをベルカント・オペラ復元のためもあり、ドラマティック・ソプラノ歌手からコロラトゥーラ・ソプラノ歌手への転向を薦めたのです。

今現在のイタリア・オペラの歌手は、声量があり、イタリア語が明瞭に聞こえて、イタリア語ができない人では、表現力がないとあまり評価されないことがあります。

いろいろと調べてみたのですが、こうした歌い方は、19世紀半ばのテノール歌手デュプレが、声量が、大きなホールでも届く大きなもので、かつイタリア語の明瞭な歌唱でした。

その声に魅了されたのが、聴衆であって、ロッシーニやドニゼッティといったオペラ作曲家のかつての歌唱法とは違うものでした。

そのためそれ以後そうした歌唱法が、一般的になったのでしょうか。

20世紀に入ると、伝説的なマリオ・デル・モナコやレナータ・テバルディなど声量が大きくイタリア語の歌詞を明瞭に歌唱し、表現力を増したと考えられるのではないかと思います。

サザーランドは、失われた歌唱をボニングとともに、それ以前の歌唱を蘇演させたソプラノ歌手です。

ドニゼッティやロッシーニのオペラでは、技巧的な装飾を行い,かつむらのない美しい響きを聴衆に魅せる歌唱法が、イタリア・オペラのデュプレ以前の歌い方だったのでしょう。

でもそれが、定着し、かつての三大テノールもマリオ・デル・モナコもイタリア語の歌詞を明瞭に発音し、大声量で歌うスタイルとなっていったと思われます。

一方、サザーランドは、失われた歌唱をボニングとともに、それ以前の歌唱を蘇演させたソプラノ歌手です。

ドニゼッティやロッシーニのオペラでは、技巧的な装飾を行い,かつむらのない美しい響きを聴衆に魅せる歌唱法が、19世紀半ばのイタリア・オペラのテノール歌手、デュプレ以前の歌い方だったのでしょう。

サザーランドの映像は、YouTubeでも、見られます。

大変に技巧的な安定したテクニックを持ち、美しい美声を聴くことができます。そうした美声をイタリア語を明瞭に発音することより重視していたのではないかと考えます。

かつてイタリアのオペラ歌手の名人芸として一般的なスタイルが、ロッシーニの全盛時代の歌唱法だといえるサザーランドの歌唱によるものでしょう。

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2018年8月11日 (土)

バロック期の歌唱とバロック音楽のこと~装飾とリアリゼーション~

久しぶりに、LPを聴きました。モンテヴェルディ作曲の「ポッペアの戴冠」のアーノンクール盤です。ところどころ、歌唱法を確かめるために、ところどころ聴きました。

むかし10代のころ本当によく聴いた盤でした。

おおむね、ビブラートで誇張することもなく、自然な発声法で歌唱していた、プロローグを聴きました。皇帝ネロの役のソプラノ歌手は、ドラマティック・ソプラノでしたが、ビブラートを多用し、普通のオペラ歌手とおもいます。

おなじ「ポッペーアの戴冠」でのジョン・エリオット・ガーディナー指揮のアルヒーフ・レーベルによるCD盤も自然な歌唱法であってヴェルディやプッチーニやワーグナーでの歌唱とは違います。

アーノンクール盤は1970年代半ばの輸入盤LP、ガーディナー盤は1993年録音です。

また、思い出して、1980年前後の発売の「エマ・カークビーの肖像」のCDを聴き、そうした、自然な歌唱法をたしかめました。

非常に美しい、ビブラートを多用しない自然な歌唱法に魅了されたものでした。

昭和57年の芸術祭参加作品である、アンドルー・パロット指揮のタヴァナー合奏団によるパーセルのオペラ「ダイドーとエネアス」のLPでは、ダイドーが、エマ・カークビーでした。メッサ・ディ・ヴォ―チェによる美しい、心洗われる歌唱はバロック・オペラにはうってつけだと思います。

だからと言って、その当時の歌唱の録音が残っているはずもなく、多くの文献による実験とも言えるのです。

またバロック期は、室内楽のトリオ・ソナタにしろ、ソロ・ソナタにしろ奏者による装飾を加えてよいので、楽譜は音楽の骨格を示しているにすぎません。

だからオペラのダカーポ・アリアにしても多くの歌手によって楽譜をもとに創作的に装飾をしても良いので、現在の多くの録音で、この演奏の装飾は良いが、これは良くないと言えるということは、その当時の常識を知っている人であるならば、言えますが、これはリアリゼーションが良くないから、あまりに奏者が多いから正統的ではないと言えることはおかしい判断です。

コレッリであっても、今現在と同じように大オーケストラと同じく、バロック・オーケストラでの100人の演奏家で自作の合奏協奏曲を演奏した事実があるのですから、何でも、バロック期はこうでなければならないといったことは、あまりないのです。

一応にバロック音楽というものは、ソロ・ソナタでもトリオ・ソナタでも通奏低音でチェロとチェンバロの二つの楽器をつかいますが、ジャズと同じくコード進行どおりのなかでの即興的な演奏は認められています。

通奏低音の楽譜には二声部の楽譜がありますが、チェンバロの右手の楽譜はありません。ですから数字付き低音としての和音のコード進行は書かれているので、その範囲内での装飾や装飾をしないで、右手と左手を数字付きの和音の範囲内で弾く奏者も多いのです。

バロック音楽においては、機会音楽であって、せっかく大きな祭典なのだから、多くの楽器が使えるならば、それを使えるだけ使ってリアリゼーションがあっても何らおかしいことはありません。その当時の良き趣味を逸脱してはいけませんが。

逆にソロ・ソナタであって、それがバロック・ヴァイオリンのソナタであっても、通奏低音が、チェロとチェンバロを必要としても、奏者が揃わないときは、チェロだけでも、チェンバロだけでも構いません。それでも当時の良き趣味に従っていれば装飾もゆるされるし、そのときの演奏する人数によって、奏者によって変わっても構わないのです。

もし上述のバロックヴァイオリンのソナタにしてもタルティーニのヴァイオリン・ソナタの録音に通奏低音部分があっても、タルティーニ自身は、自分の演奏だけでよいから、通奏低音をなくしてしまうことを彼自身が発言していたので、アンドルー・マンゼのタルティーニの悪魔のソナタ(別名悪魔のトリル)では、無伴奏の演奏でも構わないのです。実際にそうした録音もあります。ハルモニア・ムンディ・フランスのレーベルです。

ですから、バロック・イタリア・オペラであっても皆さんもご存知のように、パリで上演するときにはパリ版という別な版があることがあります。

パリでは、フランス人は、踊りの場面がないとお客さんが満足しません。それで、イタリア・オペラでは踊りのシーンを作り、その舞曲を挿入しないとフランス人には、受けないためにパリ版という別版がある場合があるのです。

そうした、バロック期の習慣、慣習を知らずして、バロック音楽を語ることはできないのです。

ある時ある人が、リュリのグラン・モテの録音を聴いて、ウィリアム・クリスティーの方が、エルヴェ・ニケより正統的だと発言していましたが、この場合もクリスティーの録音の方が、穏健で、簡素だからという理由です。

バロック音楽の演奏にそうしたことは、その場一回限りの機会音楽である場合、エルヴェ・ニケの方が、バロック・オーケストラが、多くの楽器を使いすぎているからという理由から正統的ではないということは言えません。

その時の機会によって、その祝典やミサのための音楽であれば、それに対応して少ない楽器しか使えないならば、その範囲内で演奏することしかできませんが、せっかく多くの奏者を使えるのならば大編成のバロック・オーケストラでその当時の良き趣味に従ったリアリゼーションであるのならば、それを否定することはできません。

もちろんその当時のリュリの作品を演奏しようとヴェルサイユではなく、パリのオペラ座であるならば、ヴェルサイユほどの演奏者を使えないのであれば、そのように演奏しなければならないのも当然です。

バロック音楽というものは、その時々のための一回ごとの演奏しかありません。

おなじリアリゼーションの楽譜があれば、その演奏を再現できますが、そうした祝典用の音楽ならば、一回限りの場合、もう一度同じ演奏を聴衆が聴くことはできません。

でもバロック期の音楽家は、当然その後のロマン派のチャイコフスキーの作品でもショスタコーヴィッチの作品は知らないのですから、バッハの曲をチャイコフスキーのように演奏することはないのは当然のことです。

ですから、当時のバロック期の常識を知らずして、演奏について語ることはできないとも言えるでしょう。

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2018年8月 4日 (土)

外国のヴィオラ・ダ・ガンバ奏者~ヴィーラント・クイケン、ジョルディ・サヴァールその演奏~

クイケン三兄弟の長兄、ヴィーラント・クイケンはヴィオラ・ダ・ガンバ奏者ですが、バロック・チェロも弾きます。次男シギスヴァルト・クイケンは、バロック・ヴォイオリン奏者ですが、ヴィオラ・ダ・ガンバも弾きます。三男バルトルド・クイケンは、フラウト・トラヴェルソ奏者です。

 

ヴィーラントとシギスヴァルトと二人で、ヴィオラ・ダ・ガンバを弾く録音もあります。

アクサン・レーベルのフォルクレの録音等があり、チェンバロは、ロベルト・コーネンです。

 

このクイケン三兄弟とロベルト・コーネンで4人となって、トリオ・ソナタが、演奏できます。

かつて、初来日した際、この四人でクイケン・カルテットとして、J.S.バッハのオルガン曲のトリオ・ソナタを編曲したトリオ・ソナタやルクレールの作品を演奏しました。

 

また、その後の来日の際、シギスヴァルトの代わりに愛弟子の寺神戸亮氏が、バロック・ヴァイオリンを弾いていたこともありました。

 

1960年代からこの三兄弟は、アラリウス・アンサンブルとして演奏活動を始めて、シギスヴァルトがバロック・ヴァイオリンの奏法を過去の文献から、蘇らせ、1970年ころから活動を活発化してきました。

 

ここ何年か、この三兄弟が来日することが多くなり、まえにバルトルドのフラウト・トラヴェルソで、シギスヴァルトと寺神戸亮氏のバロック・ヴァイオリンと他のバロック・ヴィオラなどの演奏者でバッハの管弦楽組曲第二番等のコンサートを聴きに行った覚えがあります。

 

そのときのヴィーラントはバロック・チェロを弾き通奏低音部分を担当しましたが、音楽院を退官したと言っても、その確かなテクニックで、こうした作品でのヴィーラントは、そのきっちりした正確な演奏で、この演奏会での演奏では、完全に作品の要となっていて、ほかの通奏低音演奏者の中でヴィーラントの存在感が際立っていました。

 

結局、忙しく、行けなかったのですが、来日時のシギスヴァルト指揮のラ・プティット・バンドの来日でブランデンブルク協奏曲全曲演奏会も記憶に新しいです。

 

シギスヴァルトは、ヴィオラ・ダ・スパッラというヴィオラ・ダ・ガンバのような大きな楽器を使い、バッハの無伴奏チェロ組曲を演奏した来日演奏会もありました。NHKBSで放送されたようですが、YouTubeでも検索すれば、見られます。

 

ところで、ヴィーラントも退官したあと、フリーで活躍しているようです。YouTubeでも見られます。

彼のヴィオラ・ダ・ガンバの演奏は、確かなテクニックとしっかりとした音程で聴き手を引っ張っていくかのような演奏です。

バッハのヴィオラ・ダ・ガンバのソナタの全曲をグスタフ・レオンハルトのチェンバロで録音したドイツ・ハルモニア・ムンディのレーベルでの録音や前述のアクサン・レーベルでの録音やセオン・レーベル等の録音があります。

 

ジョルディ・サヴァールのヴィオラ・ダ・ガンバ演奏は、柔らかく、情緒を重んじる演奏で、かなりの強奏で聴衆を引き付けることもありますが、ヴィーラントとの違いを感じます。

 

バロック音楽でもこうした、最良の演奏者での比較ができます。

 

バロック音楽も演奏者の層があつくなってきたようで、多くの有望なヴィオラ・ダ・ガンバ奏者が出てきており、YouTubeで検索すると思わぬような立派な若い演奏者が、活躍しており、驚くばかりです。

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2018年7月30日 (月)

ハイドンやモーツァルト以前のJ.S.バッハ以前のバロック音楽、中世、ルネサンス音楽も聴こう!~西洋音楽史はハイドンから始まっているのではありません~

まえにクラオタの話をしました。結局いろいろ論じているのは、ハイドンやモーツァルト以後の音楽通であって、それ以前のバッハやヘンデル以前の音楽は聴く対象には入っていないのです。

 

ハイドンやモーツァルト以前の音楽は聴かないのでバロック音楽がわかりません。聴けません。よって聴かないので、それに対する批評もできません。

 

膨大なハイドン・モーツァルト以降の音楽の多くの演奏比較はできるクラオタはいるのに、古楽を聴く人は、ほとんどいません。

 

そして、バロック音楽など聴かないで、西洋音楽史も知らずにクラシック音楽通を自認している方が多いと思います。

 

バロック音楽やルネサンス音楽や中世の音楽というものを聴くに値しない音楽と考えている方がいるならそれは間違いです。

 

前にも書きましたが、食わず嫌いをやめて、せめて、バッハやヘンデルの古楽器演奏や現代楽器演奏も聴いてみましょう。

 

バッハも声楽曲である教会カンタータや世俗カンタータもありますし、その世俗カンタータである、コーヒー・カンタータ(そっと黙っておしゃべりなさるな)農民カンタータ(おいらは新しい領主様をいただいた)は有名です。曲の比較ができるほど多くの録音があります。アーノンクールやホグウッドなどによる録音やかつては現代楽器による録音もあります。ほかにも、いと尊きレオポルト公、前のFM放送の朝のバロックで使われている音楽もバッハの世俗カンタータ、ケーテン時代の、楽しい狩りこそわが喜び、のなかでの一部分の音楽です。現在の、古楽の楽しみ、では、ヘンデルの水上の音楽からの一部分が、テ―マ曲に使われているようです。水上の音楽なら比較の対象に成るほど現代楽器も古楽器による演奏もあります。

古くは、その当時の名盤とされた、ヴェンツィンガー盤。ホグウッド盤などの古楽器によるものは多くの録音があります。また、現代楽器による、サーストン・ダート盤やオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団によるハーティ版などによる大オーケストラによる比較もできます。

 

なにもバッハと言ってもオルガン・チェンバロ作品もいいですが、それだけでなく、チェンバロ協奏曲での全作品は、CD三枚組での元は、LPでしたが、レコード芸術誌での1980年代のピノックの指揮振りによる古楽器による録音は音楽史部門での賞を取るほど、私も感慨深い思い出です。

これについても、昔の録音でのピアノと現代オーケストラによる録音もあって比較の対象にもなります。

 

バッハのブランデンブルク協奏曲の全曲は、古楽器では、草分けのヴァ―ゼル・スコラカントルムによる、伝説のアルヒーフレーベルのヴェンツィンガーの盤は、さとちゃんは、未聴ですが、当然ピノック版やホグウッド盤アーノンクール盤の旧新盤やラ・プティット盤などなど比較の対象にできるほどいろいろな録音があります。

 

現代楽器なら、リヒター盤は有名ですし、サーストン・ダート盤やカール・ミュンヒンガー盤もかつてのブランデンブルク協奏曲の全曲の録音の一部です。もっと古くは、ルドルフ・ゼルキンのピアノやアドルフ・ブッシュによるかつてのモノラルのGRシリーズ盤によるものもあって比較の対象には困りません。

 

室内音楽でのソナタでは、ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ全三曲ではヴィーラント・クイケンのヴィオラ・ダ・ガンバ録音や、敢えて、バロック・チェロで弾いていたアンナ―・ビルスマ盤など枚挙に暇がありません。

 

フルート・ソナタでも古楽器でも、日本の有田正広氏の盤やブリュッヘン盤やバルトルド・クイケン盤などがありますし、現代楽器では、かつて、オーレル・ニコレや、ジャン・ピエール・ランパルとロベール・ヴェイロン・ラクロワのチェンバロによるものは驚異的な録音です。

 

バッハの大規模な作品である受難曲では、マタイ受難曲が有名ですが、現代楽器ではカール・リヒター盤による新・旧録音盤も有名ですが、古楽器では、レオンハルト盤もレコード芸術誌では話題になりました。

 

ヨハネ受難曲もリヒター盤の現代楽器盤もありましたし、シギスヴァルト・クイケン盤による古楽器による録音も話題になりました。

 

また、ロ短調ミサも大規模な作品ですが、現代楽器での録音では、リヒター盤はもちろん多くの比較対象になる盤はあります。

 

こう書いているとあれもこれも浮かび、書ききれなくなってしまいます。

 

バッハばかりの盤の録音によるものですが、バッハの作品一つとってもこれだけの比較対照できる盤があって、今回は鍵盤作品は、書きませんでしたが、またいつか触れたいとおもいます。まだ、無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータや無伴奏チェロ組曲も多くの現代楽器と古楽器による全曲録音がありますし、枚挙に暇がありません。

 

何十年前では考えられなかった、例えば、ジャン・バティスト・リュリ作曲キノー台本による、トラジディ・リリク(抒情悲劇)全曲によるものは、「アルミ―ド」のヘレヴェッヘ盤のほかにもありますし、数少ないリュリの録音でも同名異演が多く、これも比較の対象にもなります。ウィリアム・クリスティーによる、リュリの「アティス」なども話題になりました。

 

書いているとキリがありません。

 

これからは、クラシック音楽カテゴリーだけではなく、もっと古楽にも力を入れて行きたいと思います。

 

モーツァルト・ハイドン以降ではなく、古楽も聴いてみましょう。

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2018年5月27日 (日)

新しいバロック音楽の時代は来た~ガッティやオノフリやマルタンやエルヴェ・ニケ等~

前にカルミニョーラのコンサートに行った際にある30代位の音楽関係者の男性が、セオン・レーベルをよく聴いていましたと言うとその方は、それはちょっとアブナイですね。と言われたことを思い出します。

 

1970年代のセオン・レーベルはバロック音楽の古楽器による主張を持ち,過去の文献にあたり、その当時の奏法、楽器を使いその当時の良い趣味に基づき、演奏し過去を再現しながらも、博物館の音楽ではなく、現代に生きるバロック音楽を造ろうとしたいわゆる、オリジナル主義を目指していたのでした。

 

この時代は、LPの時代でした。でもその演奏家は、クイケン3兄弟やリコーダーのブリュッヘンやチェンバロのレオンハルトなどのオリジナル主義に共鳴する演奏家によって録音されました。

 

その音楽は、その当時のバロック・ヴァイオリンの奏法を確立した、シギスヴァルト・クイケンはいまでも活躍しています。その1970年代にシギスヴァルトをLPで聴いて多くの日本だけではなく、世界中からベルギーのこの3兄弟のもとに集まり教えを請う演奏家が多くいました。

 

今までにないバロック・ヴァイオリンの音に魅了された方も多くいました。またオランダのレオンハルトのもとにも、レオンハルトの主張に影響された多くのチェンバリストが教えを請いに行きました。

 

何しろ最新の古楽器による確かだと思われる演奏は、このセオン・レーベルしかなかったのですから。

 

確かにバロック音楽に一家言を持つ、つわもののオリジナル主義による演奏家それも超一流の演奏家ばかりでした。

 

さて、今現在強力にその当時の音楽をその1970年代から今に至るまで主張してきた、チェンバロとオルガンのレオンハルトとリコーダーとフラウト・トラヴェルソのブリュッヘンそして強烈な説得力を持った、ウィーン・コンチェントゥス・ムジクスの主催者であるウィーンの古楽演奏のアーノンクールも亡くなりました。

 

この三人の主張による録音の主張は今までの過去ログにありますので、読んでいただけると幸いです。

 

最初に言ったこの演奏家の何が、アブナイのでしょう。

若い人から見れば教条主義的な音楽に終始していたこの演奏家達は、その音楽はバロック音楽のその当時の前衛と言っていいものでした。楽しいバロック音楽を聴こうというものではなく、今から思えば新しいバロック音楽のアバンギャルドでした。

でも楽しく音楽を演奏する姿勢よりも、当時の音楽を、彼らの主張を前面に出していく音楽造りでした。

 

さとちゃんの世代で彼らの影響を全く受けてない聴衆や演奏家もいないのではないかと思います。それだけ彼らの主張に共鳴した、ブリュッヘンを慕う演奏家が集まった18世紀オーケストラなど彼らの主張は強烈でした。

 

この三人が、多くの後のオリジナル主義による演奏家に多大な影響を受けてそれを彼らなりに演奏をしていたこの三人のカリスマも今はいません。

 

この状況こそが、新しいバロック演奏家にとって多くの解釈を生み出すことになると思います。

 

もちろんこの3人以外に、イギリスでのピノックやガーディナーや故ホグウッドといったこれらに組しない団体も当時の1970年代から録音はありましたし、ラインハルト・ゲーベルのケルンのムジカ・アンティカ・ケルンといった奏法は完璧で、ケルンで学んでバロック・ヴァイオリンをシギスヴァルト・クイケンに師事して総仕上げを行うという徹底ぶりでした。

 

言いたいこととは、最近エルヴェ・ニケのヘンデルの王宮の花火の音楽を聴く機会がありました。かなりの人数で、古楽器による古楽奏法でありながら、ちょっとした表情付けを持つもので、昔のレオンハルトとブリュッヘンとアーノンクールでは、考えられない演奏でした。

 

 

バロック・ヴァイオリンのエンリコ・オノフリも巧く、多くのすぐれた演奏家が多くなり

セオンの常連だけではなく、多くのすぐれた演奏家によるバロック・オーケストラが立ち上がっています。

 

もう3人のカリスマの主張だけではなく、多くの可能性を持つ演奏家が多くなってきました。

バロック・ヴァイオリンのガッティのコレッリのヴァイオリン・ソナタなど丸い柔らかな音色でもあり多くの可能性を予見させます。

 

チェンバロのマルタンなどフランソワ・クープランの世界をフランス・バロックの情念を感じさせる立派なフランス人気質の女流チェンバリストです。

3人のカリスマが去った後の現在は、教条主義ではなく真にバロック音楽で心を打つ、故磯山雅氏の弁でいえば、魂を揺り動かす音楽、これを古いやり方ではなく、新しい形にしてくれる、多くのテクニックを持つ素晴らしい演奏家が出てくることが期待されます。

 

もう三人のカリスマの主張ではなく、新しいスタイルを持った前途有望なバロック音楽をつくることが、三人のカリスマの供養にもなりましょう。

 

新しいバロック音楽の解釈が、多くの素晴らしい技術を持つ演奏家によって生み出されることが、現実となっています。

 

バロック音楽が、今変わろうとしているのです。

決して聴くに値しない音楽ではありません。

食わず嫌いをやめて、バッハ、ハイドン、モーツァルトからあとの作曲家だけでなくその前の音楽としてのバロック音楽も聴いてみましょう。

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2017年11月 1日 (水)

古楽の楽しみ▽イギリス・バロックの作曲家ヘンリー・パーセルの作品(3)放送を聴いて

早朝のNHK FMの古楽の楽しみでは、磯山雅氏の解説で早世のイギリスのバロック音楽の作曲家パーセル(1658~1695)の作品の放送です。

 

清教徒革命により、クロムウェルの音楽への迫害により教会オルガンは破壊され、イギリス・バロック音楽はヨーロッパのバロック音楽より遅れを取り、完全な王政復古により、命によりヨーロッパへの留学をした作曲家の一人です。

 

パーセルの作品は、ヨーロッパのバロック期の技法を把握しながらも、イギリスのシャープな作風を持つ、イギリス特有の肌合いを持つもので、独特の作風を持ちます。

 

かつて、パーセルの記念の年に数多くの作品の、CDが多くの企画で日本版で発売されたのが、思い出されます。

 

パーセルの死後は、その後ドイツのザクセン出身の作曲家のヘンデル(1685~1759)が、オラトリオでロンドンのバロック音楽を席捲していきます。

 

磯山雅氏のかつての言で、イギリス・バロック音楽の時代は、その当時のイギリス人は保守的な聴き手でありながらも、「音楽を消費する国」として外国の作曲家を招き、イタリアからカストラート歌手を多額の契約金で招聘するなどしますが、自国の作曲家もジョン・ブロウやロックやハンフリー等の英国国教会のミサのための音楽をアンセムとして作曲しています。

 

ですが、パーセルの存在は大きく、早世が悔やまれます。

 

バロック期の作品は、フランス・バロック音楽だけでなないので、英国を代表するバロック期の作曲家としてイギリス人のパーセルはもっと聴かれていいと思います。

 

 

パーセルの作品は、整理され、パーセル作品番号として、Z.番号による作品番号が付されているのですね。

 

放送内容はNHKに準拠するもので、下記致します。

 

ご案内・礒山雅/パーセルの劇音楽を中心に、歌と器楽曲をお届けします。
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イギリス・バロックの作曲家 ヘンリー・パーセルの作品-3) 礒山雅「「アブデラザール(ムーア人の復しゅう)」組曲Z.570」パーセル:作曲, (合奏)エンシェント・ミュージック室内管弦楽団, (指揮)クリストファー・ホグウッドほか
礒山雅「「アブデラザール(ムーア人の復しゅう)」組曲 Z.570
(合奏)エンシェント・ミュージック室内管弦楽団、(指揮)クリストファー・ホグウッド
「ソナタ 第10番 イ長調 Z.799
(バイオリン)パヴロ・ベズノシウク、(バイオリン)レイチェル・ポッジャー、(チェロ)クリストフ・コワン、(オルガン)クリストファー・ホグウッド
「「ばらの花よりかぐわしく」Z.585-1
(カウンターテナー)アンドレアス・ショル、(器楽)アカデミア・ビザンチナ
「「しばしの音楽が」Z.583-2
(カウンターテナー)アンドレアス・ショル、(器楽)アカデミア・ビザンチナ
「ハープシコード組曲 第7番 ニ短調 Z.668
(ハープシコード)ピーテル・ヤン・ベルデル
「「おお、孤独よ」Z.406
(カウンターテナー)アンドレアス・ショル、(器楽)アカデミア・ビザンチナ
「「ほどかれたゴルディウスの結び目」組曲 Z.597
(合奏)アカデミア・ビザンチナ、(指揮)ステファノ・モンタナーリ

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2016年8月30日 (火)

オセロの柳の歌の全英語詞と和訳~シェイクスピア劇の音楽~

このLPは、カウンター・テノールの復元に挑んだ、故アルフレッド・デラーのLPvictor VIC-5282

シェイクスピア劇の音楽です。

著作権は、今から、何百年前の詞ですから、問題はないですが、日本語訳は、永田仁訳によるものです。

永田仁氏によると、Othello,第四幕第三場で、デズデモーナが、歌う、シェークスピア劇中の名高い歌です。

 

稿は、大英帝国博物館の所蔵によるものは、リュート伴奏ですが、デズデモーナが、着替える場面なので、リュート伴奏はなかったと、永田氏は、解説に書いておられます。エリザベス朝ルネサンス期のものです。

 

作者不詳ですが、皆様の役に立てばと思い、ブログに載せました。

 

興味のある方は、お読みください。

 

 

この歌の旋律は、今現在は、ほかの方の録音もあるそうなので、そちらで確かめてくださ

い。

 

 

 

 

 

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