カテゴリー「クラシック音楽」の397件の記事

2017年9月24日 (日)

指揮者トスカニーニの音楽~感情移入を避けるその音楽づくり~

昔、トスカニーニという指揮者がいたのは、みなさんご存知だろうと思います。

恣意的な演奏を避けて、感情移入せずにクラシック音楽を演奏するという方法で、大きな成果を得て、戦前、戦後のモノラル録音の時代ですが、アメリカでもその演奏のラジオ放送があり、多くの人が魅了されました。

ここ何年かか、トスカニーニのワーグナーの管弦楽曲のステレオ録音が、唯一発見されて、話題を呼びました。

何度も書いているので、耳にタコができると言われそうですが、指揮者のフルトヴェングラーVSトスカニーニとも言われた時代もありました。

フルトヴェングラーは、即興的でその時の感情により、音楽の解釈が違い、ある意味で恣意的であり感情移入が多い解釈が話題を呼びました。一方トスカニーニは、楽譜に忠実に感情移入を嫌い、物凄い合奏力を持つNBC交響楽団でその理想を実現し、イタリア人でありながら、アメリカで活躍した指揮者であることは、ご存知でしょう。

たまたま、今日は、トスカニーニ指揮のNBC交響楽団の亡き父のLPでハイドンの交響曲101番の「時計」とモーツァルトの交響曲35番「ハフナー」の1950年の録音があり聴いています。

このトスカニーニという指揮者、今までも聴いたことはあるのですが、フォルテでの爆発力のある部分の解釈が、受け入れがたく今もその部分には、疑問を持たざるを得ないのですが、その合奏力やストレートに響いてくるこのトスカニーニの音楽は、非常に立派なものでした。

ハイドンやモーツァルトでのイタリア人としてなのか、感情に溺れずも滑らかに歌うところや桁外れの合奏力には敬服したいと思います。

ハイドンにしろモーツァルトにしろ、爆発するようなフォルテの解釈には、疑問をもっても、決して唾棄すべきものではなく、こうした演奏解釈もこうした行き方も合奏力があるために、モーツァルトの第二楽章では非常に美しいと思った次第です。

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2017年7月13日 (木)

モーツァルトはサヴァン症候群か否か!?

私は、この不毛な議論をしたくはないのです。

実際のところ、それも何百年も前に、亡くなった、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが、サヴァン症候群であったか、否かは確かめようはありません。

1985年頃録音された、その当時のローマのヴァチカンでの秘曲、アレッグリ作曲のミゼレーレ(われを憐れみたまえ)というボーイ・ソプラノのソロも入る、ア・カペラのルネサンス様式の作品があります。

この作品は、楽譜は門外不出であり、一般の人もモーツァルト自身も目にすることはできません。この作品を初めて聴いて、それを一音も逃さず、楽譜にしたという話があります。このことにより、年少で、ローマのアカデミー会員に推挙となったのは、バロック中期の作曲家アルカンジェロ・コレッリとモーツァルトだけです。

蒸し返すのは、良くないことですが、まえに諍いを起こした、サイトの方は、モーツァルトの作品の楽譜は、すらすら書かれているのは、間違いだと言われていました。

推敲に推敲に重ねて書いたので、モーツァルトは、そういう意味で、従来の説は間違っているというのです。

サヴァン症候群か否かといった説はどちらとも言えないし、確かめることはできません。

でも、モーツァルトのヴァチカンでの秘曲の楽譜おこしという、話を持って、これは音楽の天才と言って申し分ありません。

わたし、さとちゃんは、前、ウィキ・ペディアを読み、サヴァン症候群であろうとの結論を出しました。

皆さんも、モーツァルトのように秘曲を聴いてください。

本当にこの10分以上もある、宗教作品を初めて聴いて楽譜にしたというのなら、これは天才以外の何物ではないと言えると考えます。

さとちゃんのコレクションにあるCDは、以下のものです。

アレッグリ作曲 われを憐れみたまえ

ボーイ・ソプラノ ソール・クワーク

オルガン アンドルー・ライト

指揮スティーヴン・クリペリ

ウェストミンスター大聖堂聖歌隊

アーゴ 410005-2

もう一枚は

Allegri Miserere

coducted Stephen Cleobury   David Willcocks

Choir of King’s College,Cambridge

EMI 7243 5 75877 2 3

一枚目は、1112秒の録音時間、二枚目は13分ちょうどの演奏時間です。

機会があれば聴いてください。

サヴァン症候群と言える説もあるし、でも音楽の天才であることには間違いありません。

さとちゃんの読み物では、モーツァルトとサヴァン症候群 というお題が、人気ではあります。

が、さとちゃんの本音は、過去ログの クラシック音楽鑑賞と覗き見的事実 ~サヴァン症候群の嵐の後で~ に書いてありますので、是非ともお読みください。

http://classic-baroque.way-nifty.com/satocyan/2008/07/post-97a3.html

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2017年6月 4日 (日)

NHKFM 名演奏ライブラリー 没後20年 名指揮者ゲオルク・ショルティ(1)~その演奏~

ゲオルク・ショルティという指揮者を、若い方は、知らないかもしれません。

もう没後20年となるのですね。

シカゴ交響楽団を指揮し、日本にもたびたび来日していた指揮者です。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とも来日し、ベートーヴェンの交響曲第7番を演奏したこともありました。

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が、ショルティを恐れていたことが如実にわかる演奏会でした。

思い通りにいかない、ウィーン・フィルにショルティはそっけなく、その当時のコンサートマスター、キュッヒルの顔は非常に緊張していたことを思い出します。

トスカニーニに絶賛された、ショルティの音楽は、聴いてみると、非常に透明、明晰で、20世紀に見られた過度な感情移入や表情付けとは、無縁です。

非常に音程もよく、透明度も高く、若い聴衆の方には、ショルティの音楽に共感を覚える方もいるかもしれません。

戦後話題になった、ショルティとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との録音による、ワーグナーのニーベルンクの指輪全曲の演奏も、かつてのフルトヴェングラーのような、ドイツ的な解釈ではなく、非常に明るい明晰な解釈で、恣意的なものはあまりなく、ショルティの録音は、話題となりました。

かなり前に、映像媒体で、ショルティのこの録音のリハーサル風景も発売されました。

ショルティは、ピアノが巧く、メロス弦楽四重奏団員とモーツァルトのピアノ4重奏曲の第一番と第二番をCD録音していたことがあり、その演奏のテクニックには、驚かされたものです。

この日曜日の朝9時からの二時間のショルティ特集は、来週も放送するようなので、過度な感情移入に疑問を覚える方たちには、こうした、20世紀の指揮者の音楽を聴くとよいかもしれません。


NHKのホーム・ページに完全に準拠する放送内容をそえておきます。2017年6月4日放送 NHK FM

  • 「歌劇“魔笛”K.620から アリア“恋人か女房があればいいが”」
    モーツァルト:作曲
    パパゲーノ…(バリトン)ウィリー・ドームグラーフ・ファスベンダー、(指揮)アルトゥーロ・トスカニーニ、(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、(グロッケンシュピール)ゲオルク・ショルティ
    359秒)
    <デッカ 478 4884

    「バイオリン・ソナタ第9番 イ長調 作品47“クロイツェル”から 第1楽章」
    ベートーベン:作曲
    (バイオリン)ゲオルク・クーレンカンプ、(ピアノ)ゲオルク・ショルティ
    1035秒)
    <デッカ 473 127-2

    「歌曲集“白鳥の歌”D957から 第7曲“別れ”」
    シューベルト:作曲
    (テノール)マックス・リヒテック、(ピアノ)ゲオルク・ショルティ
    315秒)
    <デッカ 478 4884

    「“エグモント”序曲」
    ベートーベン:作曲
    (指揮)ゲオルク・ショルティ、(管弦楽)チューリヒ・トーンハレ管弦楽団
    816秒)
    <デッカ 475 8525

    「組曲“ハーリ・ヤーノシュ”から 第2曲“ウィーンの音楽時計”、第6曲“皇帝と廷臣たちの入場”」
    コダーイ:作曲
    (指揮)ゲオルク・ショルティ、(管弦楽)バイエルン国立管弦楽団
    521秒)
    <デッカ 473 127-2

    「楽劇“ラインの黄金”から“ワルハラ城への神々の入場”」
    ワーグナー:作曲
    (指揮)ゲオルク・ショルティ、(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ウォータン…(バス)ジョージ・ロンドン、フリッカ…(ソプラノ)キルステン・フラグスタート、ローゲ…(テノール)セット・スヴァンホルム、ドンナー…(バリトン)エーベルハルト・ウェヒター、ウォークリンデ…(ソプラノ)オーダ・バルスボリ、ウェルグンデ…(メゾソプラノ)ヘティ・プリュマッハー、フロースヒルデ…(アルト)イーラ・マラニウク
    1013秒)
    <デッカ 448 933-2

    「交響曲第8番 変ホ長調“一千人の交響曲”から 第1部 賛歌“来たれ、創造主である聖霊よ”」
    マーラー:作曲
    (指揮)ゲオルク・ショルティ、(管弦楽)シカゴ交響楽団、(合唱)ウィーン国立歌劇場合唱団、(合唱)ウィーン楽友協会合唱団、(合唱)ウィーン少年合唱団、(ソプラノ)ヘザー・ハーパー、(ソプラノ)ルチア・ポップ、(アルト)イヴォンヌ・ミントン、(アルト)ヘレン・ワッツ、(テノール)ルネ・コロ、(バリトン)ジョン・シャーリー・カーク、(バス)マルッティ・タルヴェラ
    2310秒)
    <デッカ UCCD-6042

    「がんばれ、シカゴ・ベアーズ」
    ジェリー・ダウンズ:作曲
    ブードロー:編曲
    (指揮)ゲオルク・ショルティ、(管弦楽)シカゴ交響楽団、(合唱)シカゴ交響楽団合唱団
    126秒)
    Eloquence 480 6875

    「カンタータ・プロファーナ」
    バルトーク:作曲
    (指揮)ゲオルク・ショルティ、(管弦楽)ブダペスト音楽祭管弦楽団、(合唱)ハンガリー放送合唱団、(テノール)タマーシュ・ダローツィ、(バリトン)アレクサンドル・アガーケ
    1742秒)
    <デッカ 478 3706

    「交響曲第5番 嬰ハ短調から 第5楽章」
    マーラー:作曲
    (指揮)ゲオルク・ショルティ、(管弦楽)チューリヒ・トーンハレ管弦楽団
    1438秒)
    <デッカ 475 8525

 

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2017年5月 5日 (金)

嘘をつくはてなブックマークとNHKのクラシック音楽放送について~そして芸大閥~

皆さん、面白いからやってください。
私の´ちょっとカゲキなクラシック評論’をグーグル検索してみてください。
はてなブックマークが出てきます。

そこで私のブログは、前はノートンによると危険となっていたものが、今は、注意に格下げされています。

芸大閥のことが書かれているのかとお思いでしょうが、その中身は、エリザベス朝ルネサンスのことで、芸大閥とは何も関係ありません。

そのうえ、とんちんかんに、芸大閥のことが反論できないとのコメント、めちゃくちゃです。

やっと、このサイトを潰そうとしている輩がいることが分かります。

芸大閥というのは、大体が、N響閥でしょう。

指揮者の言うことはきかない。

前は、ヴォルフガング・サバリッシュの指揮した、演奏会は出来が良く、ほかは、どんな指揮者であっても、気の抜けた演奏しかしなかったのです。

だから、サヴァリッシュの指揮したものだけ、良く他はN響自身が、勝手に弾いていたのが実態でした。

他の指揮者は、N響が、馬鹿にしていい加減に演奏していたのは実体です。

時々良い演奏もありますが、先にN響アワーを持ってきて良いコンサートの時だけです。

後の芸術劇場は、外国の良い演奏家のひどいライヴ演奏を持ってきて、N響は、優れているだろうとのアピールです。

いまでは、まるで、N響アワーだけになってしまい、誰も見る人はいません。

BSも酷いものです。

日曜の深夜にやっているクラシックの番組の時もありますが、大概が、4時間に渡るオペラで、昔のクラシック・ロイヤルシートと同じです。それも毎週ではありません。

そのうえ早朝放送している、BSのコンサートは、一時間にも満たない放送で、そのリサイタルの全容はやりません。

だれかが、ブログで言っていたように、前のように、地デジで、芸術劇場を戻してほしい。と盛んに書いておられました。

いまは、もう日曜日の夜放送する、いわゆる、N響アワーなるものと同じようなものは、入門者向けにはよいでしょうが、わたしやほかのクラシック通の人はだれ一人としてみていません。

そうしたことに危惧した、芸大閥の演奏家は、そうしたことを潰そうとしているのがわかります。

私の書いていることが公になれば、CD会社も困ります。

お里が知れるばかりか、NHK交響楽団という放送響に過ぎないオーケストラをもちあげるのは、もう通には、嘘だ。とわかっています。

すべてでたらめです。芸大のピアノ科を受験したとしましょう。
そのためには、芸大の教授に受験前にお金を出して、訓練してもらい芸大に合格するのです。
でも、音楽性はないので、基本には忠実でも、意味はありません。
そうした卒業生は、N響に入団するので、この芸大閥のプライドの高さは鼻持ちなりません。だから、指揮者の言うことを聞かなくなるのです。

一方、小澤征爾氏は、桐朋学園です。

実は、東京芸術大学より、桐朋学園の方が、偏差値は高いのです。海外で活躍している演奏家を見ると、桐朋が圧倒的に多く,東京芸大出の人は、まったくと言うほどいません。

要するに、日本の中だけで、井の中の蛙で、いい気になっているのが、NHK交響楽団です。日本の中だけでは、テクニックだけは一番だからです。

ただの放送響に過ぎないものが、指揮者を馬鹿にして本気を出さずに、基本だけに忠実な芸大閥の集まりが、N響なのです。

昔のイタリア歌劇団公演のころは、DVDで買って観てみると、名人のイタリア・オペラ職人指揮者が、振っており、N響も今よりも数倍貧弱なオケであっても、指揮者に合わせて、一生懸命に演奏していました。

その時の、外国に学ぼうとする姿勢は、本当に頭が下がるほど、N響は頑張っていたのにその後の傲慢ぶりには、本当に立腹します。

これが、日本のクラシック音楽の実態なのです。

皆さん、よーくわかりましたでしょうか。

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2017年5月 4日 (木)

http://classic-baroque.way-nifty.com/satocyan/さとちゃんの 本当のURL

嘘をつく はてなブックマーク。

はてなブックマークでは、私のURLで、危険なサイトだと主張しています。
わたしの、この、ちょっとカゲキなクラシック評論。
10年以上続けています。
実際に私の書くことに恐怖を感じる人々がいるのでしょう。

クラシック音楽を真摯にとらえていない人、金もうけオンリーの人、クラシック音楽を飯のタネにしている人。
言われては困る人。

そのために、ノートンを使い、さとちゃんのブログを潰そうと、はてなブックマークを使い、危険なサイトだという人。

私は、音楽を飯の種にしていません。

書かれては都合の悪い人がそうした、捏造を試みるのです。

いい加減に、音楽に真摯な態度を持ったらどうですかと言ったところで、飯のタネにしているのですから、できようはずもありません。

いい加減にして自分で分かっていることを誹謗されたら、飯のタネにしている人たちは困るでしょうが、本当のことはだれでもわかっているのですよ。

それと、さとちゃん,の、ちょっとカゲキなクラシック評論というブログは、もうURLがすでにもうかわてっいるのですよ。

それを昔のURLを使って、誹謗するのはやめてください。

お里が知れます。

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反論

私のブログに対しての、意見がありましたので、書かせていただきます。

 誰とも申し上げません。

 ひとつには、N響の変わらなかった点、デュトワが目指していたものは、ラテン系の青い音色であって、どす黒い音色ではなかったのでした。そして、フランス的な表情付けであるところの、そうした、音楽をともに作っていこうとする、デュトワのラヴェルの録音、もちろん、モントリオール交響楽団のことです。こうした、柔軟性に富み、指揮者の行っている音楽作りに共感すれば、それに共鳴して、そのとおりの音楽作りをするのが、オーケストラであるのに、N響はそうはなりませんでした。


 私は、芸大出身であるとかないとか言う前に、彼自身が、親の七光りの何者でもないことは、事実なのではないかと思われます。

 NHKでは、BBCウェールズ管弦楽団という、一流のオーケストラを指揮していたといっていました。

 私自身、名門の素晴らしい音色のオーケストラは、数々知っていますが、このオーケストラは,聞いたこともありません。はっきり言って、二流オーケストラを振って、海外だから、一流オーケストラだという、詭弁です。

 私自身、尾高忠明氏のマーラーの5番をN響で、NHKホールで聞いています。

 その演奏は、ただ、流れるままで、何の印象もないものでした。マーラーへの氏の共感など何もありませんでした。私の音楽好きの先輩は、あまりに退屈なので、結局寝ていました。会社の上司から貰った券で、どうしても行かざるを得なかったので、しょうがなくつき合わされたのです。

 尾高忠明氏の経歴がどうのこうのということについては、どうでもいいことであって,聞けば、日本的なる物の、演奏形態は分かるでしょう。

 音楽を聴くよりもそうした事実もある程度大切でしょうが、結局は聞いていて、日本人的演奏は聴けば誰でもわかります。

 基本に忠実に、逸脱しない、演奏を目指していたのは、N響自身でしょう。

 私自身は、そうした、演奏家の本ばかり読み、音楽を聴かない、クラシックファンを疑問に思いました。

 実際に、かつてのN響アワーで、デュトワが振ったN響のラヴェル・プログラムを見ましたが、どす黒い音のラヴェルで、モントリオールでの彼の苦労は報われませんでした。

 逆に、N響ほどの力量はありませんが、宮崎国際音楽祭での、演奏会ではこのオーケストラは、デュトワの要求する、ラヴェルのラテン的な明るい言ってみれば、紺碧な青と表現でき、必死にデュトワの棒に合わせていました。これこそ、デュトワが目指していた、彼のオーケストラ・ビルダーふりでした。

私自身,デフォルト・ブログなので、さまざまな意見を受け付けることはできません。

申し訳ありませんが、時間もなく、開かれたブログではありません。

によって、誤解も生じましょうが、多くの書いたブログを読んでください。

クラシックの項をクリックすれば、おおくのN響や、そうした意見を書いたつもりです。

是非、読んでいただきたいのですが、こんなブログなそ、読みたくないというのであれば

それもひとつの意見でしょう。

でも、私のブログは、いろいろなことは書いていますが、クラシック音楽を真摯に考えようとしているブログであって、誹謗中傷をもとにしてはいません。

 おかしいと思っている音楽界のブログで、発表できないものも数数あります。

 日本のクラシック好きの夢を壊すべきではないとの配慮もあります。

 今回これを書いたのも、無理やりつれてこられて、尾高氏のコンサートに行った思い出があったので、そのつらみでそれの一端を書かせてもらいました。

 お気に触ったらごめんなさい。

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2017年5月 2日 (火)

NHK及びN響と文部省官僚と日本のクラシック音楽の演奏と受容のされ方

NHKでは、つい最近まで、Polliniを「ポルリーニ」と表記していた。
 既に、「ポリーニ」と表記するのが、慣例になっているのにかかわらず。
 同じように、Corelliを「コレルリ」と表記するのと同じようにである。
 文部省指導の音楽用語では、「コレリ」と表記する。
 また、NHKでは、既にお馴染みの「ピリス」を「ピレシュ」と最近、表記している。まるで、別人のように。知らない人は、別人だと誤解するだろう。NHKは、自分の考え方を曲げない。N響も同じである。かつて、小澤征爾氏を追放した、N響のコンサートマスターの海野義男氏のように。
 尾高忠明氏が、NHK FM放送でこう語ったのを聞いた。
 ある旧ソ連の指揮者の演奏解釈について「我々とも違う。」と言った。つまり、ここには、日本には、我々の演奏解釈がある。といっているのである。それの意味するところは、NHK
交響楽団が、日本におけるスタンダードである。尾高氏が、日本のクラシック音楽の演奏解釈のスタンダードであると言っているのと同じである。
 ここで、謎が解けた。日本には、厳然とした解釈というものが、存在しているのである。
もうお分かりだろう。
 N響が、誰が、振っても同じ演奏しかしないわけが。
 指揮者が、振っているのではなく、N響が、自分の基準で演奏しているだけなのだ。
 シャルル・デュトワが、来た。彼は、オーケストラ ビルダーである。モントリオール交響楽団を稀にみるような、世界に通用するオーケストラに育て上げた人物である。
 デュトワは、N響の団員にリハーサルで何度もダメだしをする。同じ箇所を何度も何度も繰り返して、練習させた。団員は、どこが悪いのだろうと演奏するが、デュトワは、繰り返し同じ箇所を演奏させた。
 この映像は、NHKのテレビ放送で流された。
 これを見た私は、N響が、変わるのではないか。と内心思った。
 でも、変わらなかった。彼が、来たことで、N響の会員は、前より増えたそうだ。でも、結局、N響は、何一つ変わらなかった。
 デュトワが、ラヴェルを振った。N響で。
 モントリオール交響楽団と同じ奇跡は、起きなかった。
 その演奏会を聴いた人のなかで、「やはり、デュトワが、振ると違うね。」と言ってのけたひともいたそうだ。日本におけるクラシック音楽の聴衆のなかには、そういったスノビズムが存在する。
 ある四重奏団が、来日したとき、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を演奏した。会場は盛り上がり、アンコール曲が演奏された。それを聴いていた聴衆が、「この曲は何と言う曲なのだろう。」と言っていたそうである。たった今、演奏された演奏会の曲目のひとつの楽章をアンコール曲にしたのにもかかわらず。
 日本の聴衆のなかには、そういった人もいるのも事実である。日本では、クラシック音楽を聴くという行為自体が、なにか高尚な行為であると、考えている人がいるのも事実である。クラシック音楽は、難解であり、それを聴く行為に、盲目的に、畏れをなす人もいる反面、前述したスノビズムを振り回す人もまた、少なからずいるのも事実である。
 N響を批判したら、N響の会員の人は、真っ赤になって怒り出すに違いないだろう。
 日本の聴衆で度重なる、海外演奏家の来日で、耳が肥えている人は、多い。
 皆分かっているのだが、NHKの番組のなかで、それを言うことは、できないのである。
 ゲストで出演している人も分かっていながら、それは、言えないのである。
 だから、クラシック音楽を聴いたことがないような人をアシスタントとして起用する。分かられるのが、困るからである。分かるようになってしまったら、番組から卒業させられてしまう。司会者は、分かっているのだが、自分の地位保全のため、言わない。もし言ってしまったら、日本の音楽界では、生きていけないから。クラシック音楽は、高尚で、理解し難い音楽だとしておいた方が、権威を保てるのである。かわいそうなのは、視聴者である。騙されている事に気づかず、誰も教えてくれない。只々ありがたい音楽を拝聴させて頂けるという意識を視聴者に植え付けるのが、狙いである。
司会者もいわゆる現代音楽を作曲することは、お金にならない事は、よく分かっていて、映画音楽等の作曲を今は、手がけている。日本では、クラシック音楽は、お金にならないのである。なにか話題性のあるものしか、売れないのである。音楽の本質などどうでも良いことで、ルックスやファッション感覚で、クラシック音楽は、高級感を醸し出す道具に過ぎない。美貌の演奏家であったり、話題性があれば、分からない人は、騙されてしまう。
商業主義に乗せられて、音楽の本質は、論点にない。売れたもの勝ちである。

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2017年2月28日 (火)

中村紘子氏~その悲しい氏自身の演奏~

 私自身の聞いた話でのことで、ある知人が、小学生のころ、あるピアノの先生についた時のことです。

その人は、ピアノを弾くときに手首を挙げて、弾くようにと指導されました。でも、その人は、どうしても、手を水平にピアノに置き、弾くことしかできず、どうしても先生の指導のようには弾けませんでした。

確かに手首を挙げて指を渾身の力で弾けば、強い打鍵はでます。でもその人には、それはできないので、結局、最後には小学生高学年でやめてしまい、違う習い事をしたそうです。

いつだったか、中村紘子氏の追悼番組で、氏は、ピアノを弾くときに、強い打鍵を弾くときにはよいのですが、手首を高い位置に置いて弾き切るようにして弾いていました。

氏は、1965年のショパン・コンペティションで、四位の入賞者です。何度も言うように、この時の優勝者は、マルタ・アルゲリッチです。

その、NHKの番組によると、その後氏は、アメリカに渡り、名門ジュリアード音楽院に留学します。そのときに、付いた先生に、あなたのそうした弾き方では、テクニックは出ないし、とにかく今までの弾き方を直して手首を上げずに、不通に手首を下げて、弾きなさいと言われたそうです。

何十年も今までの弾き方で弾いていた奏法を変えることは容易ではありません。

氏は、今までの奏法を捨て、新しいジュリアード音楽院の先生の弾き方をしようとしても、もうどうにもなりません。時々、昔の奏法がでたり、新しい奏法がでたり、演奏を改めて聴いてみるとテクニック的には、その相乗作用で、悪い音楽になってしまいます。

その追悼番組に出ていた、音楽評論家と思しき人は、この両者の奏法が出たり、出なかったりして、いろいろなモノが出て、演奏が面白いなどと表現していましたが、これほど、かわいそうなことはないと思います。

結局、昔の日本での奏法で小さい時から練習していたのですから、アルゲリッチやポリーニやミケランジェリのような鉄壁なテクニックと表現力を兼ね備えたピアニストとは違う奏法を身に着けて、ショパン・コンペティションでも入賞したのに、前の奏法を捨て、新しい奏法で弾くということは,もうできないことではないでしょうか。

アルゲリッチやポリーニももうすでに過去のような素晴らしいテクニックはもう聴けないですが、氏は、ピアニストとして数々のレパートリーを、違う奏法で身に着けてしまったのですから、もうどうにもならないでしょう。

奏法さえ、間違いがなければ、そのまま音楽が深まっていきますが、ジュリアード音楽院での先生の方が、結局正しかったわけですが、もう元には戻れません。

先生の言う通り、完璧なテクニックも感情表現にしても氏の子供のころからの奏法では、出ませんよとの言う通りでした。

氏は、このジュリアード音楽院での指導で、この両方の奏法が、ごちゃまぜになった状態で演奏せざるを得なかったのでした。

奏法さえ、しっかりしていれば、子供のころに覚えた、ショパンの作品なら、指が覚えいるので、テクニックで、練習さえしていれば、自然と感情表現など容易に出てきます。

しかし、奏法で迷いがあれば、弾くことだけに専念しなければ、テクニックも感情表現も出せずに、弾くことに専念しなければなりません。

氏は、そうした意味で、戦後日本の代表的女流ピアニストでありながら、私も誰も、ピアノ音楽が分かる人には、低い評価しか与えられない、不幸なピアニストであったと言えます。

亡くなった方にこうした、鞭うつようなことをしたくはなかったのですが、私自身なぜ、氏があの程度の音楽しか創れなかったのかの疑問が、このNHKの氏の追悼番組を見て分かった次第です。

氏の死去は、昔の日本的ピアノ奏法の犠牲になった一人の不幸な女流ピアニストたちの末裔も含めて改めて、考えさせられた事象でした。

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2017年2月 1日 (水)

ベストオブクラシック・セレクション  アンティ・シーララ ピアノリサイタル~その演奏について~ NHK FM2017年2月1日放送分

最初のシューマンの作品、ダヴィッド同盟舞曲集を聴いているうちに、ついその演奏に引き込まれてしまい、久々にNHK FMを聴いてみようと思います。

今聴きながら、書いています。

このピアニストについての経歴等は、解説以外のことは、知りませんが、初めて聴くピアニストでありました。

この長大なダヴィッド同盟舞曲集をどんな風に弾いてくれるのかということの興味から聴き始めましたが、なかなかにこのピアニストは、シューマンのこの作品から、非常に面白い、ユニークな演奏を引き出しており、そして洒脱な、演奏に耳を奪われました。

透徹な美しい高音の響きを響かせながら、細かなニュアンスを表現しながら、実に洒脱な演奏部分があり、魅了されました。

また、シューマンのドイツのロマン的表現でもある、黒いロマン的な暖かな音も忘れてはいませんし、シューマンのそうした部分での演奏箇所もあります。

ベートーベンでは、透徹した響きを大切にしていたともいえます。

基本的には、アンティ・シーララは、透徹した響きを基本としながらも、見通しの良い演奏を見せると同時にドイツのロマン的表現を持ちながらもそれだけには終始していないとも言えます。

そして、シーララ自身の洒落た表現をも持ち合わせている、非常に魅力的な演奏と言えます。

スクリャービンの作品についても、ロシアの大地を思わせるような演奏ではなく、美しいピアノの響きを大切にしていたと思います。

さとちゃんは、シューマン、ベートーベン、スクリャービンとの演目で、ドイツ的ロマン的な、黒い音色とロマン性を表現しようとした演奏かと考えていたのですが、シーララ独自のニュアンスを含みながら、これらの作品から、シーララ自身の独特の違う表現を見せてくれたことは、非常に興味深い演奏と言えるでしょう。

アンコールには、ショパンのノクターンが弾かれました。

そのあとのブラームスの作品は、CDからの演奏だそうです。

なお、下記にNHKの発表に完全に準拠した演目を記しておきます。

また、ベートーヴェンとの表記はせずに、NHK発表の通りに、ベートーベンと表記しています。

過去の演奏会だったようで、もうすでに放送しているのかもしれませんが、さとちゃんは、初めて聴いて、こうして書いています。


アンティ・シーララ ピアノリサイタル
 田中奈緒子
「ダヴィッド同盟舞曲集 作品6」 シューマン作曲
3605秒)
(ピアノ)アンティ・シーララ

「ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 作品110
ベートーベン作曲
1903秒)
(ピアノ)アンティ・シーララ

「ピアノ・ソナタ 第10番 作品70」 スクリャービン作曲
1240秒)
(ピアノ)アンティ・シーララ

「ノクターン 変ホ長調 作品9 2」 ショパン作曲
415秒)
(ピアノ)アンティ・シーララ
~東京・浜離宮朝日ホールで収録~

「ピアノ・ソナタ 第3番 ヘ短調 作品5から 第2楽章」
ブラームス作曲
1325秒)
(ピアノ)アンティ・シーララ
ONDINE ODE1044-2

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2017年1月 1日 (日)

ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート 2017 ~キュッヒル氏とグスターボ・ドゥダメル指揮のその演奏について~

NHK Eテレ放送の2017年のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートが、今実況生放送で放送終了しました。今までは日本時間元旦の夜7時(現地時間午前11時)にコンサートが始まり、745分に第一部が、終わり、815分に第二部が始まり、日本時間9時半には、ラデツキー行進曲で終了でしたが、すべてが、15分遅れてのものでした。

HDDDVDなどで録画の方、大丈夫だったでしょうか。

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の毎年のクラシック・ファンへのお年玉、ニューイヤーコンサートが終わりました。なかなかの出来で、ウィーン学友協会での聴衆の方もスタンディングオベーションで、指揮者ドゥダメルに応えていました。

しかも、最後のラデツキー行進曲では、手拍子を小さくから少しずつ大きくといったドゥダメルの指示に聴衆がそのように答えて手拍子するように聴衆が、完全にドゥダメルの意のままに動いているとは、聴衆をすべて虜にしてしまったようです。

ベネズエラ出身、若干35歳でのウィーン・フィルを相手に物怖じもせずに、逆に魅了してしまう彼のパーソナリティと音楽に対する楽しさを感じ入っている彼は、まさにこれからの指揮者としての寵児となるかもしれない要素は持ち合わせているかもしれません。

最初の演目で、かなりウィーン・フィルを強引に鳴らす手法で、その第一部の最初の方では、音色とアーティキュレーションに南米の血が騒ぐような、少々黒い音色があり、ベネズエラのヒスパニック系を感じさせるようなところがあり、ちょっと懸念したのですが、段々と曲が進むにつれ、ウィーン・フィルの定年退団をした、キュッヒル氏が言っていたように、その色をウィーン・フィルが、薄めたのか、一度目でのニューイヤーコンサートにしては、出色の出来と言ってよいでしょう。

音楽評論家が言っていた、ニュー(新しい new)が、良い方向に作用しました。

かなりの強奏がありますが、それは、35歳という指揮者としての年齢ならば、これくらいオーケストラを鳴らして良いのではないかとも思います。老巨匠ではないのですから、今、これだけ鳴らさなくては、いけません。

小さくこじんまりと纏ってしまっては、今後のことを考えても良い演奏はできません。

そのくらいは大目に見てもよいと考えます。

強い、でも、乾いた見通しの良い強奏と、終始の部分では、ぱっと切る若々しさが新鮮です。

ウィーン風に無理に甘く歌い上げることは、せずに割と自然体で、ウィンナ・ワルツを歌わせる手法もなかなか、新鮮でありながらも、無理がなく、わざとウィーン風を気取る態度を取らずに自然と歌わせる力量は新しいシュトラウスのワルツの歌い上げ方です。

聴いていて、シュトラウス・ファミリーのウィンナ・ワルツを聴いているということより、管弦楽曲を聴いているウィーン・フィルのコンサートを聴いているようで、結構楽しんでいる自分がいることに気付いていました。

なかなかの指揮者を連れてきたとエージェントは、これは成功と思っていることでしょう。

私自身も、昨日、ググって、指揮者を知り名前は聴いたことがない。誰だろうと疑問でしたが、大した逸材を見つけてきたものです。

彼は、指揮者のアバドやサイモン・ラトルの演奏を知っているとの意を言っていました。ドゥダメル氏の演奏は、楽しく浮き浮きした気分を醸し出してくれる、ラトルの影響を受けているのかもしれません。

ところで、ウィーン・フィルのコンサート・マスターを定年退団した、キュッヒル氏長年ご苦労様でした。

かつて、ウィーン・ムジーク・フェライン弦楽四重奏団として、来日しての室内楽のコンサートでは、ウィーン・フィルのトップとしてほかのメンバーも遜色なく、素晴らしい厳しい演奏をしていたことを思い出します。

奥様は、日本の方で、親日家です。

定年退団を期に、一抹の寂しさを感じているようでしたが、これからは、ソロ活動や室内楽でその力量を発揮していただきたいと思います。

カール・ベームが指揮をしていた、1970年代にウィーン・フィルに入団し、ベームに雷を落とされた経験を語っていましたが、あの時の第一コンサートマスターは、ヘッツェル氏でしたが、彼はその後、山登りの際の事故で突然の死去をしてしまい、その座をキュッヒル氏に譲りました。

そうしたこともあり、キュッヒル氏は、第一コンサートマスターになりました。そのショックと重圧というものは、計り知れないものがあったでしょう。

また、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は、かつて、女性を絶対に入団させないことで、有名でした。

産休により、抜けてしまうとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の音そのものが、変わってしまうことへの懸念として、ハープ奏者でも、男性奏者しか入れませんでした。

今では、ヴァイオリン奏者でも、女性がいるように大分、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団も様変わりしたものです。

サイモン・ラトルの登場により、良くも悪しくも、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が、変わったように、この楽団も、プライドが強く、前述したように、指揮者に従わない場合があることがあり、そうした面もある程度変わっていただきたく思います。

演目 すべてNHKホームページに準拠
ヨハン・シュトラウス作曲
(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)グスターボ・ドゥダメル

「ポルカ・シュネル“冬の楽しみ”」
ヨーゼフ・シュトラウス作曲
(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)グスターボ・ドゥダメル

「ワルツ“メフィストの地獄の叫び”」
ヨハン・シュトラウス作曲
(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)グスターボ・ドゥダメル

「ポルカ・シュネル“別に怖くはありませんわ”」
ヨハン・シュトラウス作曲
(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)グスターボ・ドゥダメル

「“スペードの女王”序曲」 フランツ・フォン・スッペ作曲
(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)グスターボ・ドゥダメル

「ワルツ“いらっしゃいませ”」
カール・ミヒャエル・ツィーラー作曲
(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)グスターボ・ドゥダメル

「歌劇“ウィンザーの陽気な女房たち”から“月の出”」
オットー・ニコライ作曲
(合唱)ウィーン楽友協会合唱団
(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)グスターボ・ドゥダメル

「ペピータ・ポルカ」 ヨハン・シュトラウス作曲
(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)グスターボ・ドゥダメル

「ロトゥンデ・カドリーユ」 ヨハン・シュトラウス作曲
(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)グスターボ・ドゥダメル

「ワルツ“奇抜”」 ヨハン・シュトラウス作曲
(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)グスターボ・ドゥダメル

「ポルカ・シュネル“インド人のギャロップ”」
ヨハン・シュトラウス(父)作曲
(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)グスターボ・ドゥダメル

「ポルカ・マズルカ“ナスヴァルトの娘”」
ヨーゼフ・シュトラウス作曲
(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)グスターボ・ドゥダメル

「ポルカ・シュネル“さあ踊ろう!”」
ヨハン・シュトラウス作曲
(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)グスターボ・ドゥダメル

「ワルツ“千一夜物語”」 ヨハン・シュトラウス作曲
(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)グスターボ・ドゥダメル

「ポルカ・シュネル“チック・タック”」
ヨハン・シュトラウス作曲
(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)グスターボ・ドゥダメル

~オーストリア・ウィーン楽友協会大ホールから中継~

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