カテゴリー「育児」の5件の記事

2011年7月13日 (水)

おじいさんたちの孫自慢とおじバカ、おばバカ

あるドラマで、飲んでいるある初老の男が、隣で大勢で飲んでいる、おじいさんたちの話を聞いている。「一番、感動したのは、孫が生まれたときだったなあ。」というおじいさん。まわりのおじいさんたちは、口々に「本当だよなあ。」と言う。
 それを横で聞いていた、初老の男。「孫の自慢をするようになったら、片足を半分、棺桶に突っ込んだようなもんだ。」とからむのである。
 この初老の男は、新聞記者で、酔った挙句、おじいさんたちと口論になり、大事な仕事の書類の入ったバッグをなくして、翌朝、家でそのバッグがないと言い、職場でもなおも、バッグをさがし、みなに迷惑がられている。その挙句、ほかの同僚に「東京の娘さん,できちゃった婚なんだってね。」と言われる。
 なるほど、何で昨日やけになって、孫自慢にからんだか、わかる。
これは、ドラマの話であって、こんなことを言う人は、まずいない。
 ただ、孫自慢で町内で7,8人集まって酒を飲んで、そう言うことは、ようようある話で、そういうことはおめでたい話で、普通は異を唱えるものはいない。
 そのおじいさんたちが、あまりにも、ステレオ・タイプ的なので、それにからむ初老の新聞記者が、異を唱える。だから、言ってはいけないことなのにそう言うので、可笑しい。 その後、前述のように、からんだわけがわかり、しょうがない人の役なのだとわかったわけだった。
 前は、私も、おじバカだった。
 一時期、おじバカ、おばバカと言う言葉がはやった。
 自分の兄弟姉妹の子供が生まれて、そのかわいさに、その祖父母、母方の祖父母、そしてその夫婦と夫婦のきょうだいが、計8人が一人の子供に全て魅了されてしまうのである。
 きょうだいが、実家を離れて、実家は、私と両親であるが、○○君が、どうしたこうしたと話題が尽きない。
 子供が一人生まれただけで、皆がにぎやかになるのは本当の話である。

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2010年10月27日 (水)

江戸川区小一虐待事件の親に思うこと

母親の連れ子の男の子を、新しい父親が虐待し、亡くなってしまったという不幸な事件である。
 なぜ、こうした、虐待が多いか考えてみたいと思う。
 たぶんにこの父親は、子供というものを見たことがないのだろうと思う。
 核家族化で、小さな子供というものを理解できないのは、親戚や兄弟姉妹や友達などの子供というものを見たことがないからだろうと思う。
 私には、子供がないが、きょうだいの甥と姪を産院にいるときから、その後も遊びに来るので、幼児や子供を真近に見ている。
 幼児は、食事を大人がしていても、関係なく、オムツを替えなければならないし、臭いもひどいが、幼児だから、大人は我慢しなくてはならない。
乳幼児は、夜中も二三時間おきに、ミルクをやらなければならないのは、実家に帰ってくる、きょうだいがやっているので、そういうものだと、子供を持ったことはなくとも理解できる。
幼児は、大人ではないから、大人のやることなどできるわけがない。
幼児や子供とはそういうものだと見たことがないから、わからないのではないかと思う。
乳幼児の1,2歳の頃は、オムツも取れないし、自分でご飯を食べれば、こぼすし、食べながら、眠ってしまうこともある。だから、幼児というものは、そういうものだと納得すれば、虐待はしなかろうと思うのである。
子供は子供であって、大人ではないのだから、大人の父親ができても、子供には無理なのである。子供は本来、騒ぐものだし、遊び疲れるまで遊ぶ。その後は、ぐずりだして、眠くなる。よし、よし、としてやらなければ、眠いことにいらだって泣き始める。乳幼児には何を言ったってわからないのである。
大人ならば、疲れたら何も言わずに部屋へ行って、寝るが、子供はそうは行かない。小一といえば、ちょっと前まで、幼児だったのであって、何でも、大人のように巧くはやれない。そこを、教えてやるのが、お父さんの役目なのに、それを、殴ってしつけと称するのは、子供というものがわかっていないからだと思う。
 
 ただ、もっと不幸な例として、虐待を受けた子供が、親になり虐待をする連鎖というものがあるのが、心理学上言われている。

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2007年10月19日 (金)

幼児から小学生へ

生まれてから、産院から退院して、奥さんの実家に母子ともに行く場合もある。乳幼児は、夜中中も昼間もミルクか母乳を2,3時間おきに与えなくてはならず、夜も寝られない。
 一歳か二歳には、今では歩けるようになる。でも、まだ喋ることはできない。この頃の子供に何を言っても分からない。電車の中で一歳くらいの幼児が泣く。今の母親は、その子を平手打ちするのである。分からない幼児にいくら、平手打ちをしても分からない。虐待であることに母親は、気付かない。
 三つ子の魂百まで。と言うが三歳頃の子供は、今では、物心つくかどうかは分からない。
 乳幼児同様、何を言っても分からない。泣く子と地頭には勝てぬ。とも言うが、言っても話が通じない幼児に何を言っても分からない。3歳4歳になってやっと、ゆっくりと言えば少しは理解できるかどうか。やっとオシメが取れる。幼稚園の年長さんになるくらいになると、ちゃんとお話をすれば、通じるようになる。6歳になり、もう小学一年生になると、虐待ではなくちゃんと躾けをしなければならなくなってくる。やって良いことと悪いことを教えるのが、親のつとめである。ここまで、甘やかして育ててしまうと、後々大変なことになるが、子供自身も考えるようになるし、親の躾けで、将来の子供が出来上がるので、まだ分らない。でも友達を作る過程で、こんなことを友達にしてはいけないと子供心に考えることもある。悪いことは叱らなければ、まだまだ子供だから分からないことが多い。親が怒ることと叱ることは違う。感情のままに怒っていては、子供も窮屈だ。どうしてもやってはいけないことをやったときは、叱らなければならない。親は、自分の感情で、子供を怒るが、怒ることと叱ることの区別もなかなか親も難しい。
 ただ、叱っていようと、子供が親に愛されていると感じるならば、必ず子供は、親の言うことを聞くものだ。子供の言うことは全部聞かず八、九聞いていればよい。と言う。子供だから訳の分からないことを言うこともあるし全部子供の言うことを聞いていたら、親の方が大変でもある。一から十まで聞かず、どうでも良いことは聞き流すこともしないと、育児ノイローゼになってしまう。完璧を期すこともない。でも叱るときは叱らなければならない。ここぞというときは、はっきり叱らないとロクでもない子供に育つことにもなりかねない。親が、子供を受け入れて溺愛でなく、愛情を注げば、親が子供の話を聞いて接してあげれば、普通の子に育っていくのである。親の子供への放任は、これもまた良くないことだ。池袋で夜、徘徊する子供を作ってしまう。小学生のうちは「学校へ行くことが好き」と子供が言うようになれば、もう何の心配もない。小学校は勉強するところでもあるが、友達作りの場でもあって、コミュニケーションを図り、友達と遊ぶことも勉強の一つである。子供の六年間は、あっという間である。

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2007年9月 8日 (土)

ヤダ!?

この前、家の近くのスーパーで、お母さんと2,3歳くらいの女の子を見ました。
 この女の子は、自分の背丈よりも長い、障子紙の巻物の商品が、どこが気に入ったのか、小脇に挟み、得意顔で売り場を歩いています。その後ろで、お母さんと思しき若いお母さんがこう言っています。「うちは、障子紙を張る、ふすまはないんだから、売り場に返してきなさい。」と呆れ顔で言っているのですが、その女の子は、言うことを聞きません。得意げに歩きながら「ヤダ。」と言うのです。見ていて笑ってしまいました。
 私の甥と姪も、小さいときそうでした。一番かわいい時期です。しゃべれなかった、一歳の子供が、二、三歳になると、「ヤダ」と言う言葉を覚えるのです。
 「こうしなさいね。」と言うと「ヤダ」というのです。何を言っても「ヤダ。」というのです。要するに、ちょっとした反抗期で、大人が困りそうなことが、分かるので「ヤダ。」と頻繁に言うようになります。子供にとっては、ただの遊びのようなもので、ひっぱたいてはいけません。「今度、ヤダって言ったら、食べちゃうぞ。」なんていって、体中くすぐってやればよいのです。子供は、大喜びで、くすぐられています。
 そのうちに、「ヤダ。」と言う言葉も使わなくなります。
 スーパーでのちっちやな女の子を見て、甥と姪の小さいときのことを思い出しました。
 もう今では、小学生と中学生です。

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2007年8月22日 (水)

甥の初めての誕生日パーティー

もとより、一才の子供であるから、まだしゃべれないし、何を言ってもわからない。プレゼントを考え、デパートに行き、オルゴールを買った。これは、ディズニーのキャラクターである、ミッキー・マウスやミニーやグーフィーの人形が、回転しながら動くもので、音楽は、「星に願いを」だった。
 それを、プレゼントして、オルゴールが回った瞬間の、彼の目を見ると、本当に頑是無い子供の純真そのものの目だったのである。
 わたしは、甥の目を見たとき、子供と言うものは、幼児というものは、絶対に守ってあげなければならないものだと,本当にそう思った。何もわからない幼児は、守ってやるべきもので、虐待などもってのほかだと思った。幼児は、すべての親や他の人でも、皆で守ってやらなければ、かわいそうだ。すべての大人にそういえる。

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