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2018年7月 2日 (月)

往年の指揮者オットー・クレンペラーの計算高さ~クレンペラーは尊敬に値する指揮者なのか~

一般論として考えてみたく思いました。

クレンペラーは、1972年に亡くなりましたが、結局来日せず、本当のコンサートは、映像としての媒体や、LPCDでしか聴くことはできませんでした。

彼が、録音するのは、娘の経済的なものによるものと言っており、あれだけ愛してやまなかった、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団についてもギャラの低さによって振らなかったということが現実でした。

聴いている方は、お判りでしょうが、遅いテンポを取りそのために、重厚感を出すことを無理なくオーケストラに要求します。そのためにドイツ的な構築感そして遅いテンポによる重厚感を何より大事にした巨匠として多くの昔の愛好家や評論家には、評価されました。

さとちゃんは、クレンペラーという指揮者を別格である名人指揮者であることは認めますが、最近、EMI録音を聴くにつれ計算して、計算高く音楽を造っていたのではないかと思うようになりました。

もしクレンペラーが、高潔な指揮者なら、EMIのブラームスの交響曲第一番の第一楽章のドイツ的な決めるべき重厚感が出せなかったら、きっとクレンペラーは、許諾しないか取り直しをするはずでしょう。

また、ワーグナーの歌劇ローエングリン第三幕への前奏曲でもトランペットが、ミスをしてもお構いなく録音しています。聴けばそのミスはある意味で致命的ともいえます。

当然のことながらスタジオ録音なのだから、クレンペラーが気付かないはずはありません。

でも許諾して、LPCDになっています。

彼は、脳腫瘍の手術の後、そううつ病になり、その時の気分により演奏も変わったともいわれます。

モーツァルトの交響曲第25番ト短調の1956EMI録音は、よくその勢いからよく名盤とされています。

ではすべてのモーツァルトの選集の交響曲は、早いテンポ設定なのかというとそういうわけでもありません。

多くの名録音が、クレンペラーにはありますが、彼の信念での録音ではなく、その当時のドイツ的重厚感が、聴衆や評論家に、今の時代の最良のドイツ的指揮者と評された理由ではないのではと思うようになりました。

映像も最近は販売され、様々なテスタメントレーベルでの録音もありますが、もう同名異演をこれ以上聴いてもあまり意味がないような気もします。

素晴らしい音楽造りである指揮者ではあることはやぶさかではないですが、何かここのところそう思うことがあります。

指揮者としての仕事が、素晴らしければよいので、それだけでよいのかもしれませんが。

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