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2018年2月 2日 (金)

私のクラシック音楽、古楽への音楽的スタンスと評論

昔のクラシック音楽の評論家で、丹羽氏がいました。読売新聞で、コンサート評を書いておられた音楽評論家です。

氏は、わかりやすく簡潔に評を書き、恣意的な発言としての評論はしませんでした。こうした姿勢というものは立派なものだと考えていました。

あるとき氏の講演があって聞いていたのですが、そうした真摯な評論を書く人でしたが、その実際の音楽の好みは面白いものでした。

なぜ、モーツァルトはまだしも、ベートーヴェンはあんなくどい終止の音楽を作ったのか。ベートーヴェンは嫌いだとの意も言っていたようでした。

氏は、許光俊氏のように評論に自分の好みを書く人ではありませんでした。が、自分の音楽の好みは厳然としてあり、氏は、個人的に嫌いな作曲家もあったようです。

でもそうした恣意的なことは一切述べないのが、丹羽氏の評論でした。

氏の姿勢というものは、大変立派なものだと、講演を聞いて思いました。

クラシックの音楽評論は、音楽を聴き音楽家の解釈がわかり、それを聴いていない読者にも通じるように書くことが基本だと思います。

だから何度も言うように、さとちゃんが、丹羽氏が聴いたコンサートに行ったならば、こういう解釈だったと思うことは同じです。

ただそれが、自分の好みであるかないかは別として、そうした恣意的なことは書かずにその演奏がどうなのかの解釈だけ書けばいいのです。私も丹羽氏も同じことを思うのは、音楽を聴く人で分かる人も同じ思いだと思います。

私が、ささやかながら、僭越ながら、評論を書くのは、一人でも多く音楽のわかる人が増え、提灯記事ばかりしか書けない雑誌に騙されないようになって欲しいなと思うことです。

そのために、簡潔で、適切な言葉を選び、どんな人でもわかるようにわかりやすく、書くことが良いことだと思っています。

その演奏家が気に入らなくても、どういう演奏解釈かということに力点を置くことは肝心なことです。

クラシック音楽鑑賞の演奏家の好き嫌いは、言うべきではないと思って書いてきました。

それが、真摯なクラシック音楽の評論の目指すべき道だと思います。

確かに、好みというものはあっても、それはなるべく表に出さず、これからも書いていく所存です。

私の知ってる人で、自分の気に入らない演奏家は、ダメな音楽家だと言い切る人がいます。そんなにひどいのかなと聴いてみると、まんざらではないことがあります。

趣味なのだから、音楽鑑賞に恣意的になってもよいでしょうが、真摯な音楽評論というのは、そうしたものとは無縁だと思います。

皆さんは、どうお考えでしょうか。

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